1年を振り返る

 で、1年間の日記をざっと見ていくという作業を行ったわけですが、しかし、ずいぶんと無茶苦茶な変容をきたしていますね。書いている対象が今とぜんぜん異なっている。
 昨年春ごろは、憲法の話なんかを一生懸命書いていたわけですが、最近は、もう人が変わったかのように書いていない。憲法について、関心がなくなったのか、と言われると、そうでもないのですが、ただ、現段階で、どうやって語っていくのがよろしかろう?という疑問がありまして、そういったところで書けなくなったというのが本当のところです。
 あと、現代美術のことがいきなり8月あたりで出てきたわけですが、これはもう、ヤノベケンジの功績というか偉大さによるものです。「そうか、こういうのがあったのか」という驚きがあり、その後、現代美術が面白くなってきた、というところがあります。
 三十を過ぎると、あんまり変化しなくなる、と二十代の頃に聞いたことがあるのですが、こう見てみると、いや、そうでもなかろう、という実感があります。

大掃除

 昨年の初めにもやったのですが、昨年一年間で書いたもののなかで、「どうでも、いいや」と思えるものを消してしまいました。幾つかコメントを頂いていたものがあったのですが、歴史修正主義者として、昨年に引き続き、消してしまいました。せっかく、コメントを入れていただいた方は、申し訳ありませんでした。

自由にとどまる

 それにしても、こう見てみると、現代の作家たちは、なかなかに難しいところにおかれていることにあらためて気づかされる。正直、よくも、まあ、この厳しい戦いを継続しているよな、と心から驚かされる。でも、少しばかり心が暖められる。
 グリーンバーグが述べていたことを踏まえて考えるならば、モダニズムの表現においては、あらかじめ、何らかの枠組みというものが社会的に承認され、厳然として存在するように想定されていた。その論理的な帰結が意味するのは、その枠内にいるのであれば、作家たちは、なにを行っても許されるということになる。そのような意味では、作家たちに許される手法ないし資材というものは、その枠内にいるかぎりでは、無限であり、また、ある意味で、作家としての居場所というものは、揺るぎないものであったように感じられる。
 それに対して、今の作家たちは、「ところで、表現しようとは思うんだけれども、どっから手をつけたらよいのかな・・・」という、のっぺりとした戸惑いみたいなところから始めないとならない。どこからどこまでが「芸術」であるのかも判然としない薄暗がりのなかで、とりあえず、目についたものを手にとってみて、自分の表現を組み立てていく。さらに困難なことに、自分の表現を支えてくれる偉大なる大きな物語というバックアップのシステムは、もはや存在しない。モダニズムというしっかりとした城壁のなかで、かつての作家たちが享有できた無限の資源は、今の作家たちには許されていない。焼け野原のジャンクの山に取り囲まれて、なんとか、なにかを表現していくほかないというわけだ。だから、作家たちは、ともかくも、ほかの誰かが作り出した物語ではなくて、その表現を自分で背負い込むことによって支えないとならないのだから、それはそれなりに厳しい。
 さらに、枠が取り外されてしまったがゆえに、逆説的に、今の作家たちは、不自由になってしまったかのように映ることもあるかもしれない。彼らが取り上げて、作品のなかに取り込むことができる資材といったものは、枠が取り外されてしまったがゆえに、かえって不透明なものとなって、ひとつひとつ芸術の名前に値するか否か、といった根源的でクリティカルな問題を突きつけられることにもなる。枠のなかで許された自由は、その外に出てしまったときには許されないことも多い。これはきつい。縛りがなくなったがゆえに、かえって、彼らの用いることができる資材は限定されてしまっている。だから、枠がなくなって、彼らが苦痛や不安を感じたとしても、それを責めることはできないだろう。
 とすれば、どうすべきであろうか。僕たちは、ふたたびモダニズムにとって代わるような枠組みの到来を期待すべきであろうか。誰かにふたたび縛ってもらうことを望むべきであろうか。今回の展覧会の作家たちの回答は、しかし、そういったものではなかったように思う。
 今回の展覧会において、枠がなくなったことに対する不自由さや不安といったものは、少なくても、彼らの表現を見るかぎりでは、まったくなかったように思われる。新しい枠組みや縛りを待ち望むといった姿勢は微塵も感じられなかった。むしろ、そこにあったのは、好きなものを好きなかたちで組み合わせて、作品として提示してみせる作家たちのとりとめのなさであり、また、彼らの自由な姿勢だった。
 その意味で、たしかに、今回の展覧会では、全体をがっちりと纏めあげるような、しっかりとしたテーマがなかったといえば、そうなるのかもしれない。しかし、果たして、僕たちは、そのことに腹を立てるべきなのだろうか。むしろ、今回の展覧会では、作家たちが屈託のなく示してみせる、無数の物語にいったん身を投げ出してみて、そのうえで、それぞれに自分のあたまを使ってなにかを感じとり、そうでなければ、考え込むといった自由なプロセスこそが求められていたのではないだろうか。僕たちは、作品を眺めて、安易に「これは、モダニズムのなになにですね」とか「いや、ポストモダンの視座から申し上げますと・・・」などと強弁することはもはやできない。だから、今回の展覧会では、ゆっくりと丁寧に、ひとつひとつの作品を眺めて、その小声で囁かれる物語に耳を傾けることが求められていたように思われる。
 もし、そうであるとするならば、今回の展覧会において、僕たちが感じとれれば良かったことのひとつは、たぶん、自由の感触であったように思う。確かに、自由というのは、パラドクスを孕んでいて、そんなに安易に考えることは許されないものだろう。自由というパンドラの箱の蓋を開いてみると、厄介な問題が沢山でてくるのは事実である。それでも、たぶん、僕たちは、自由を恐れるべきではないのだろうと思う。大きな物語が終焉を迎えた今、自由から逃げ出さないで、逆に、それを礼儀正しくも楽しむ方法を身につけるときがやってきたのかもしれない、とも思う。僕たちを取り囲んで窒息さてしまうような物語にもう一度逃げ込む必要はない。僕たちは、自由のうちにとどまる。
 そう考えながら、山下埠頭倉庫を後にする。あの旗の下を通りながら見上げると、薄暗くなった空を背景として、マリンタワーの赤と緑のシルエットが浮かんでいるのが目に映る。その下には、あのホテルニューグランドが今も佇んでいる。そういえば、と思い出す。ふつうに歴史を顧みてみれば分かるように、海の向こう側からアメリカの占領軍と一緒にやってきたのは、敗戦だけではなかった。そういえば、自由も一緒にやってきたのだった。そんなことを思いながら、僕たちは、自転車で光の灯された中華街をくねくねと通り過ぎていく。

(終わり)

物語の終わる場所で

 ここで、『野生の思考』にふたたび戻ってみることにしたい。
 このなかで、レヴィ・ストロースは、先ほどのブリコラージュという方法と科学的な方法を区別して考えている。科学の方法においては、「構造を用いて出来事を作る(世界を変える)」のに対して、ブリコラージュの方法では、「出来事を用いて構造を作る」のであり、それらのふたつは、「手段と目的に関して、出来事と構造を与える機能が逆になる」。
 これだけだと分かりにくいので、もうちょっと説明する。科学的な方法では、まず、科学の体系がある。その体系にしたがって、推論が形成されて、それを実証するために実験が行われる。それが成功すると、新しく発見された事象ないし概念が科学の体系のなかに再帰的に組み込まれていくという仕組みになっている。だから、科学の方法おいては、まず、最初に、体系(レヴィ・ストロースの言葉によれば、「構造」)があるということになる。このように、あくまでも、最初にあるのは、科学の体系であって、この体系にのっとったかたちで推論がなされ、実験という出来事が行われるということをレヴィ・ストロースは「構造を用いて出来事を作る」と表現する。
 これに対して、ブリコラージュの方法では、この思考の経路が正反対のベクトルを向くことになる。ここでは、科学の方法に見られたように、あらかじめ体系が与えられているわけではない。とりあえず、出鱈目に生起する出来事が最初にある。偶然といってもよいのだけれども、ともかくも、生きているなかで起こる出来事が目のまえにおかれる。そのおかれた出来事を踏まえて、世界の成り立ちが思考される。
 僕たちは、こういった思考に慣れていないので分かりにくいと思うけれども、例えば、毒キノコのことを考えてみてほしい。科学的な方法を用いないとすれば、僕たちは、食べてみないかぎり、それが毒キノコであるか否かを判断することはできない。毒キノコに属するか否かの判断基準ないし体系があらかじめ与えられているわけではないからだ。ひとつひとつの具体的な毒キノコを食べるという出来事を通じて(つまり、からだを痺れさせたり、げろを吐いたり、そうでなければ、命を落としたり、という陰惨な出来事の積み重ねによって)、類としての毒キノコの系統図というか体系が作られていく。こういった思考の流れをレヴィ・ストロースは「出来事を用いて構造を作る」という言葉で示している。
 このように見れば分かると思うけれども、科学的な方法とブリコラージュの方法のあいだには、あらかじめ与えられている体系があるか否かというところに大きな違いがある。前者では、抽象的ななんらかの体系があって、人々はそれにしたがって、ものごとを考えていくけれども、後者では、あらかじめ抽象的な体系といったものを想定することができない。だから、いくぶん苦し紛れに、具体的な出来事を組み合わせて、ものごとを考えていく。
 さて、ここまでくると、ようやく結論めいたものが見えてきたのではないだろうか。先にも書いていたように、今、僕たちが生きている世界というものは、断片化されて分断されたような状態になっている。大きな物語は崩れ去った後の世界なのだ。僕たちは、僕も知っていれば、あなたも知っているといった普遍的な体系を想定して、ものごとを考えていくことはできない。僕たちが前提としている体系から導かれる結論はあるにはあるのだろうけれども、しかし、他の人はまったく異なった体系にもとづいて生きているかもしれない。そのとき、僕たちと他の人たちのあいだには、当然ながら、結論のあいだに大きな差異が生まれてくるということになる。だから、ほかの人に語りかけるには、まず、なんらかの大きな物語ないし体系を前提として語りはじめるわけにはいかない。もっと繊細で丁寧な対応が求められる。
 こういったことは、恐らく、現代美術の世界においても当てはまるのだろう。
 先ほど、グリーンバーグモダニズムを取り上げたけれども、ここにおいては、なんらかの前提となる体系ないし構造といったものが想定されていた。作家たちは、モダニズムの(仮構の)体系を踏襲するのであれ、深化させるのであれ、あるいは、身を翻すのであれ、その体系にもとづいて、自分たちの手法と表現を割り出すことができた。多かれ少なかれ、ものごとを考えるのに、モダニズムという(仮構の)体系から始めることができたわけだ。そのような意味で、彼らは、レヴィ・ストロースの述べる「科学的な方法」に近接していたと考えることができるだろう。
 しかし、大きな物語が終わってしまった後には、こういった方法はとることができない。もはや、あらかじめ想定することができる体系や構造といったものを前提にできない。戦後直後の焼け野原ではないけれども、ともかくも、なにもないのだ。だから、作家たちは、体系ないし構造のなかからその手法を演繹的に導きだすことが物理的にできない。それに、どんなに、がっちりモダニズムを受け止めて、きっちりとやっていったとしても(それはそれで、本当は必要なことなんだと思うのですが)、「いや、でもさ、それって、あなたの考えるモダニズムなんじゃないの?」といった具合に揚げ足をとられる可能性すらある。場合によっては、(底の浅い)悪質な脱構築エピゴーネンに苛められて、背中の後ろから石を投げられる恐れだってある。そのような意味でも、モダニズムという体系を足場にすることはできない。
 こういった状況のなかに、作家たちはいる。でも、それでもなお、ジェームソンの暗すぎる予測に反して、彼らは、表現に対する熱を失っていない。「ほかの作品とは違いますね」という差異の戯れにとどまっているわけではなくて、きちんと何かしらを表現していきたいと考えている。そのとき、意識的であるか否かを問わずに、作家たちの方法は、ブリコラージュの手法に近接していく。つまり、作家たちは、何らかの体系や構造から、ものごとを考えるわけにはいかないものだから、ともかくも、目の前にあるジャンクなものが積み上げられた山のなかから、なにかしらを取り上げることから、ものごとを考えはじめる。そして、それを組み合わせて、自分が望んでいる表現を組み立てていく。彼らは、場合によっては、身をよじって、苦し紛れになるのかもしれないけれども、それでも、ブリコラージュの手法で果敢に表現のほうに向かっていく。そういったことなのではないだろうか。
 このように見てみれば、今回の展覧会において、作家たちのブリコラージュという手法は、大きな物語が終わった場所でもなお、表現のほうに向かい、表現を持続させるために選ばれたものであったと考えることも許されるように思われる。確かに、苦し紛れのところもあるかもしれない。でも、それでもなお、彼らは、「無表情なアイロニーの現代的な実践」を回避して、新しい場所に向かっていこうと試みている。そんなことさえ感じる。

モダニズムという体系

 ここで、少しだけ過去を振りかえってみたい。今回の展覧会の作家たち、そして、僕たちが今おかれている状況を考えるのに有用だと思われるからだ。取り上げたいと思うのは、アメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグの評論「モダニズムの絵画」*1だ。
 ところで、今、「美術批評家」という言葉を使ったけれども、この人は「美術批評家」というちょっと軽めの言葉に似つかわしくない印象もある。一般的にそう信じられているように、仮に、批評というものを語るものに従属している言葉の連なりであると素朴に考えてしまうのであれば、この人の書いている文章は、批評というカテゴリーに収まらないような気もする。その文章は、対象に従属しておらず、多分に自律的なところを感じさせる。つまり、何と言うか、濃い。個人的には、グリーンバーグというと、美術批評界のマイルズ・デイヴィスのような印象があるほどだ。だから、非常に作家性のある人で、この人の紆余曲折を詳細に追っていってみないと、本当のところは分からないのではないかという気もする。
 そういった意味で、この人の美術評は、その平易な文章とは裏腹に、いろいろな意味で捩じれて、簡単に読み下すことができない。そのことを前提として、しかし、ここで、まず、この人の有名な「モダニズムの絵画」という論評を見てみることにしたい。
 このなかで、グリーンバーグは、モダニズムの絵画をモダニズムの絵画たらしめているのは「平面性」であるとしている。絵が描かれる画布が平らであるということを踏まえた表現がモダニズムの絵画であり、それまでの絵画は平面性を隠すために、いろいろな技巧を駆使してきた。これに対して、モダニズムの絵画では、それとは正反対のことがなされている。つまり、「モダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性に向かった」のである。
 どうして、こうしたことが起こったかといえば、(彼によれば、カントが先鞭を売ったという)モダニズムの本質が「自己−批判」にあったためである。つまり、この評論では、モダニズムとは、それぞれの芸術において、その芸術の形式に固有のものであるのは何か、という批判を深化させることによって、それぞれの芸術の形式を純化させていく過程とされていて、絵画という形式においては、「平面性、二次元性」が「絵画が他の芸術と分かち合っていない唯一の条件だった」のである。このために、グリーンバーグにおいては、「平面性」抜きには、モダニズムの絵画とはいえないということになる。
 この評論は1960年に初めて発表されたようだけれども、なによりも興味深いのは、1978年に記されている彼自身による追記だ。このなかでは、発表時、人々のあいだで、この文章がどのように受け入れられたかということが示されている。それによると、当時の人たちは、この評論に「概括したモダニズムの芸術の「原理」を、筆者自身が採る立場の表明として捉え」、「筆者が記述していることは、筆者の唱導することでもある」と読んだようである。これに対して、グリーンバーグは、そんなことはないと否定する。
 確かに、彼がわざわざ追記で示したように、この評論には、マニフェストといった赴きはない。むしろ、その書き方は控えめで、モダニズムの絵画の擁護と顕彰といったところは、まったくのところ感じられない。そうではあるけれども、他方で、このなかで書かれていることが、彼自身も「原理」という言葉を使っていることからも分かるように、ドグマティックに響いてしまっているところは否めない。恐らく、歴史的に見て、モダニズムの絵画における「平面性」が不可欠な構成要素となっているということを彼はここで言いたかったのだろうけれども、それは、あたかも、「平面性」がなければ、モダニズムの絵画ではないという「原理」として読めてしまうところがある。
 とはいえ、グリーンバーグの真意と読者たちの誤解のあいだに、共通の前提となっているところがあるようにも思われる。つまり、グリーンバーグにせよ、それを誤解した読者にせよ、ともかくも、モダニズムの絵画において、何らかの「原理」が厳然として存在するという理解は共有している。
 この批評家が「平面性」がモダニズムの絵画を歴史的に規定する「原理」であるということを述べているのに、読者は「平面性」という「原理」によって規定される絵画を彼が称揚していると誤解する。ここで見られるのは、グリーンバーグ帰納的に導き出された「原理」を語っているのに対して、読者はそれを演繹的な「原理」として勘違いしてしまっているということだ。でも、こうした議論のすれ違いにも関わらず、彼らのあいだには、モダニズムの絵画には、何らかの「原理」が存在しているはずだ、という理解が前提とされている。次の文章も、その一例として読むことができる。

何代にもわたって続いたモダニズムの画家たちによって、絵画を囲い込む形体つまり枠の基準は、緩められたかと思うと締めつけられ、また再び緩められ、さらにもう一度特別視され締め付けられたのだが、それがいかになされたかを語ることは私の自由になる紙幅を超えてしまう。あるいはまた、仕上げの基準、絵具のテクスチャアの基準、明暗と色彩の対比の基準も検証されまた再検証されたが、それがいかになされたかも同様である。これら全てはさまざまな危険に晒されてはきたが、それは新しい表現のためだけではなく、それらを、基準としてより明らかに提示するためでもあった。提示され明確にされることで、それらが不可欠なものかどうかが検証されるのである。この検証は決して終わってはいない。

 もちろん、グリーンバーグに固有の問題もここにはあるにはあって、例えば、『絵画の準備を』*2(とても面白い)という本のなかで、松浦寿夫は、この論文を取り上げて、「グリーンバーグのテクストに頻出する思考の型は何かというと、(中略)領土の画定ないし確保ということになります。それはほとんど原理ですらなく、ある領域を確保する、この場合であれば、絵画の本来的な領土を確保するという欲望によって組織されています。」と述べている。つまり、グリーンバーグは、その作家としての必然に導かれて、ここでは、あたかも、モダニズムの絵画がひとつの「原理」の廻りを衛星のように回りつづけているかのように語っているということもできるのだろう。
 しかし、他方で、発表当時の人たちの反応を踏まえると、やはり、この文章のなかでは、モダニズムの表現形式に何らかの「原理」があるということが前提とされており、その前提が社会のなかで支配的なものであったと考えることも許されるだろう。その「原理」のひとつとして、この論評では、「平面性」が挙げられている。そのとき、グリーンバーグモダニズムとは、少なくても、この論評においては、芸術の形式を秩序づけ限定するための体系として現れている。その体系に属しているかぎりは、モダニズムの絵画であり、それから外れた場合には、モダニズムの絵画ではなくなる。
 グリーンバーグのこうした文章を読んでみると、それなりに驚くところはある。僕たちは、先ほど、ジェームソンの文章を参照したけれども、そこでは、何らかの「規範」はもはや消滅してしまっていると述べられていた。しかし、少なくても、1960年代初期までは、何らかの「規範」ないし支配的な体系のようなものを前提として、人々は、作品を作ったり、それを受容したりすることができたのだった。彼らは、芸術の形式において、固有の「領土」をもっていて、また、それを確定するための「原理」ないし体系といったものがあると想定することができた。
 しかし、もはや、僕たちは、そういった場所にはいない。つまり、今回の展覧会は、社会において支配的とされる芸術の「原理」ないし体系を想定することができない孤島のような場所において開かれたものであった。そして、そこにおいて、作家たちは、ブリコラージュの方法を用いていたということになる。では、そのあいだには、何かしらの関係があるのだろうか。もちろん、恐らく、いや、たぶん確実に、関係があったように思われる。

*1:引用は以下の本からです。

グリーンバーグ批評選集

グリーンバーグ批評選集

*2:引用は以下の本からです。

絵画の準備を!

絵画の準備を!

高度資本主義社会のブリコラージュ

 ここで、思い出したのがクロード・レヴィ・ストロースの『野生の思考』*1の有名な「ブリコラージュ」という概念だった。今回の展覧会において、作家たちは、その概念を知っているか否かに関わらず、ブリコラージュの手法を用いていたのではないか。ともかくも、まず、この概念を確認しておく必要があるだろう。レヴィ・ストロースは、こんなことを言っている。

ブリコレbricolerという動詞は、古くは、球技、玉突、狩猟、馬術に用いられ、ボールがはねかえるとか、犬が迷うとか、馬が障害物をさけて直線からそれるというように、いずれも非本来的な偶発運動を指した。今日でもやはり、ブリコルールbricoleur(器用人)とは、くろうととはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人のことをいう。ところで、神話的思考の本性は、雑多な要素からなり、かつたくさんあるとはいってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである。何をする場合であっても、神話的思考はこの材料を使わなければならない。手もとには他に何もないのだから。したがって神話的思考とは、いわば一種の知的な器用仕事(ブリコラージュ)である。

 ブリコラージュとは、こういった概念である。「もちあわせ」の材料を組み合わせて、ものごとを考えたり、表現したりしていく方法だ。何かしらの計画にあわせて、まず、材料や道具を作って、その次に、必要なものを作っていくというわけではなくて、目の前にある限られた資材を組み合わせて、ものを作っていく。ここにあるのは、「「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則」であり、その「使う資材の世界は閉じている」。
 この概念を踏まえると、今回の展覧会の作家たちがなにを行っていたかということが明確になるのではないだろうか。既製品、つまり、目の前にある限られた資材を用いて、自らを表現していく。そういったことが行われていたように思われる。
 そういったことを強く感じさせられたのが、トニーコ・レモス・アウアッドというブラジルの作家だった。彼の作品は、カーペットというか絨毯の毛玉を集めて、動物の姿などを形作ってみるといったものや、金の鎖を天井から床に垂らして、床のうえに抽象的な図形を作ってみるといったものだった。
 展覧会のカタログによれば、「現代美術における表現方法は、今や出しつくされた感がある中で、日常の生活の中から表現に高めうるモノを見出し、作品として結実させる製作態度は特筆に価する」ということらしい。とすれば、資材が閉ざされている世界のなかで、この作家は、目の前にある限定されたモノを利用して、新しい表現を作り出すブリコルールと考えることも許されるだろう。
 もちろん、その背景には、これまでの彫刻の流れのなかで、いかに新しい表現を見つけ出すかという問いもあったのだろう。その経緯のなかで、絨毯や金の鎖といった新しい資材が発見されたということになるのかもしれない。影響の不安ではないけれども、すでに行われたことではないことを行いたいという欲望によって、既製品が見出されたとも言えるのだろう。
 しかし、どうだろうか。既製品という資材もまた、限られたものではないだろうか。少なくても、この作家は、絨毯や金の鎖の生産者ではないし、また、目の前にあって使うことのできる既製品の数は、膨大な量に及ぶとはいえ、限られているということもできる。仮に、既製品を最初から作り出すことができる作家がいたとしても、しかし、彼らが新しい製品を発明するわけではない。とすれば、やはり、そうは言っても、彼らが使うことができる資材というものは限られている。そして、そのとき、作家の方法は「限られた資材」のなかで何とかしていくというブリコラージュの手法に限りなく近接していくことになる。
 このことは、既成のイメージの盗用についても当てはまる。例えば、「かわいい」といったイメージもまた、閉ざされた世界のなかにある。作家たちは、新しい「かわいさ」を作り出しているわけではなくて、すでにある「かわいさ」を盗用することによって、自らを表現していくわけだから、そのイメージは有限である。それはたとえば、アニメーションや少女漫画の世界から盗用されるものであったり、市場経済のなかで流通する商品から転用されるものであったりする。ありあわせの「かわいさ」ないしそのイメージをやりくりして、作家たちは表現を行っているわけだ。とすれば、既成のイメージの盗用もまた、ブリコラージュの手法によっていたのだと考えることも許されるだろう。
 僕たちのまえには、確かに、ジェームソンの描いたような社会が拡がっていることは否定できない。だから、作家たちの方法もパスティッシュに近いものを感じさせるところもある。しかし、作家たちは「無表情なアイロニーの現代的実践」を行っているわけではなく、ブリコラージュという方法論を用いて、何らかの表現を志しているように思われる。
 事実、トニーコ・レモス・アウアッドの絨毯や金の鎖といった作品をまえにして、僕たちは、「これまでの規範的な彫刻や彫刻の素材と差異化を図っているんですね。でも、それだけじゃないですか。」などといったシニカルな感想は抱くことはなかった。そうでなくて、僕たちは、この作品をまえにして、それを彫刻であると認識する以前に、絨毯の柔らかな毛で作り出された動物たちのかたちの繊細さや不安定さ、そうでなければ、星座を彷彿とさせる形状の謎めいた姿を触感的に体験したのだった。そこに見出されるのは、アイロニカルな作家の主張ではなくて、「こんなもので、こんなのを作ってしまっちゃったけれども、面白くない?」といったユーモラスな問いかけであったように思われる。そうでなければ、「横浜トリエンナーレ、面白かったですね」といった微笑をたたえた感想が至るところに見られる現象を説明できない。
 すでに作られているものを何らかの形で組み合わせて、表現の形にまで高めていくこと。今回の展覧会において、作家たちが行っていたのは、そういったことだったように思う。とすれば、既製品の多用は、作家たちの目の前にある限定された資材のやりくりの痕跡であり、今回の展覧会において、ブリコラージュという手法が用いられていたことのひとつの指標であったと考えることも許されるだろう。
 ここで、最後に考えてみたいのが、なぜ、今、ブリコラージュなのかということである。『野生の思考』において、レヴィ・ストロースは美術家は「科学者と器用人(ブリコルール)の両面をもっている」と述べているけれども、しかし、今回の展覧会では、今まで見てきたとおり、ブリコラージュの手法が前面に浮上していたように思われる。とすれば、なぜ、今(今さら?)、作家たちは、ブリコラージュの手法を選んだと言うのだろうか。これが最後の問いになる。

(その5に続く)

*1:以下の引用は下記の本からです。

野生の思考

野生の思考

断片化する世界とパスティッシュの手法

 このところ、ポストモダンなどと口走ると、哀しいことに嫌な顔をされることが多いので、どうしようかと迷っていたのだけれども、ここで『反美学』*1という論文集を取り上げることにする。1983年にアメリカで出版されたものだ。日本でも、それなりに話題になっていたので、記憶している人もいるかもしれない。このなかに、フレドリック・ジェームソンという人が書いた「ポストモダニズムと消費社会」という論文がある。これを見てみたい。
 このなかで、ジェームソンは、結論として、ポストモダニズムの出現が「後期資本主義、消費型資本主義あるいは多国籍資本主義という新しい契機の出現と密接に結びついている」ということを言おうとしているのだけれども、まず、驚かされるのは、ジェームソンが描いている社会像というものが驚くほどに現在を思わせるところが多いということである。つまり、「偉大なモダニズムのスタイルが登場してから何十年かの間に、社会それ自体が同じような仕方で断片化しはじめ、各集団がそれぞれ独自の奇妙な固有言語を話すようになり、各職業に固有のコードやイデオレクトが発達し、そしてついには、各個人が他のあらゆる人から分離された、言語的な孤島と化してきた」という状況だ。
 確かに、二十年以上もまえに彼が描いているとおり、大きな物語の終焉と呼ばれたような現象があって、その後に、無数の小さな物語が同時並行して衝突しあうような世界がやってきた。価値観がやたらと乱立して、個々人が有している情報の階層がやたらと細かく無数に、しかも、入り混じらないで積み重なっているのが、現状である。もはや、僕たちは、自分が普遍的な言語で語っているという前提で生活していくことができなくなっていて、自分のあたまにある事柄は、固有言語というか方言のようなもので、話しかける相手によって、異なったモードで話を進めるという態度が要求されるようになっている。つまり、ジェームソンの言葉によれば、「固有言語や独特のスタイルをからかうことができるような言語的な規範が存在」しなくなっているわけだ。
 そのとき、パスティッシュという表現の形式が生まれるとジェイムソンは述べる。パスティッシュとは、彼によれば、パロディとは区別されるもので、ネガティブに捉えられるものである。ジェームソンは、こんなことを言っている。

パスティシュとは、確かにパロディと同様に、特異なあるいはユニークなスタイルを模倣するものであり、文体という仮面をかぶって、死せる言語で語ることである。しかし、パスティッシュとはそうした物真似を中立的な立場で実践することなのであり、パロディのもっていたような秘められた動機、つまり諧謔的な刺激や、嘲笑や、模倣されるものがそれに比較して滑稽に見えるようなノーマルな何かが存在するという気分を、もっていないのである。パスティッシュとは無表情なパロディ、つまりユーモアのセンスを失ったパロディなのである。

 この人は悪文を書くことで有名で、訳文でさえ、句点が妙なところにおかれていたりして読みにくい文章になっている。でも、言いたいことは分かる。つまり、モダニズムの時代には、多くの人たちが共有している規範を想定することができて、それを笑い飛ばすことによって、或いは、それを貶めることによって、個人の表現が成り立つところも多かった。でも、そういった時代は終わってしまった。そのとき、表現のなかからは熱が失われて、僕たちに残されているのは、ただ、「無表情なアイロニーの現代的な実践」だけになってしまう。社会を束ねるような枠組みが崩れてしまった結果、表現のなかには、価値判断を中立化した「ほかの表現とは違う」という差異だけが残されることになる。その差異の表現がパスティッシュということになる。ジェームソンはこんな風に考える。
 では、今回の展覧会はどうだったのか。既製品をもってきて、それを作品のなかに取り込んでしまう。しかも、そのなかで、作家たちは、すでに作られているものを貶めるべき規範として用いているわけでもなければ、モダニズムのオリジナル神話を相対化しようという野望をもっているわけでもない。だから、うがった見方をすれば、ほかの作品と異なることの指標として、作家たちは既製品を用いていると考える余地はあるだろう。他の作家が使わないであろうものを使うために、既製品が使われる。そういった意味で、既製品の多用はパスティッシュを思わせるところもある。
 また、かつてのアプロプリエイションの作品群は、悪意をもって消費社会のイメージを盗用することで、「模倣されるものがそれに比較して滑稽に見えるようなノーマルな何かが存在する」ということを示すものなのだから、ジェームソンの図式にしたがえば、パロディに近いものであったとも考えられる。これに対して、今回の展覧会に見られた盗用のなかには、アプロプリエイションの手法を用いながらも、しかし、「諧謔的な刺激」や「嘲笑」といったものは感じとれなかった。だから、既製品の盗用の屈託のなさに「無表情なパロディ」が垣間見えることがあるかもしれない。こう考えると、ジェームソンの議論はそれなりに魅力的なものに映るのは否定できない。
 しかし、実際に展覧会に足を運んでみると、正直、ジェームソンの議論をここに当てはめるわけにはいかないようにも思われるのも事実だ。なぜならば、作品に「無表情なアイロニーの現代的な実践」といったような冷笑的な態度がないからだ。むしろ、そのなかに見出せるのは、ピュ〜ぴるの人形に見られたようなユーモアであり、また、ヘディ・ハリアントの牛に見られたように、世界に対する何らかの働きかけであったように思われる。そこには、冷たさというよりも、微熱のこもった切実さのようなものさえ感じられたのではないだろうか。だから、たとえ、現実の世界がジェームソンの予告したとおりに進行していたとしても、その世界に対する作家たちの応答は「無表情なアイロニーの現代的な実践」と呼べるものでは決してないように思う。では、それをなんと呼べばよいのか。

*1:以下の引用は下記の本からです。

反美学―ポストモダンの諸相

反美学―ポストモダンの諸相