Jリーグ100年構想
川淵三郎キャプテン(69)が24日の会見で極秘交渉中のオシム監督の名前を漏らし、27日にはオーストリアのオシム監督の自宅で田嶋委員長が契約交渉を行った。千葉抜きで事態が進んだことに淀川社長は怒りを隠せなかった。
「川淵さんが失言で謝罪したとしても“やり得感”があるのはおかしい」と訴えた。さらに「雨が降って“傘を差しますが、入りますか”と言ったら“オレのものだ”と傘を取られた」と契約期間中のオシム監督を代表監督に迎えようとするやり方に不満をぶつけた。
選手、サポーター、スポンサーの気持ちを考慮すれば、このまま交渉の席につくことはできない。しかし、日本協会が謝罪文を出しケジメをつけ誠意を示すことで交渉スタートの障害は取り除かれる。わだかまりが消えたのか、会談を終えた淀川社長と田嶋委員長は同じ車で事務所を後にした。
ニッカンスポーツの記事から。
川淵三郎の失言というか暴言については、多くの人が語っていますが、個人的には、かりに意図的なものであれば、きわめて悪質な行動であり、また、誤って発したものであったとしたら、彼が痴呆症に近い状態にもはや陥っていることを示す行為である以上、あの行為のひとつをとっただけでも、責任をとって辞めるべきだと思われます。
それ以上に、ジーコを4年間擁護しつづけて、それが誤りであったことが結果として示されているのだから、この行為がなくても、責任をとって辞めるべきだと考えます。
かつて、川淵がJリーグ100年構想と誇らしげに語っていたわけですが、ここで、川淵が責任を取らないとすれば、今後100年に悪い残すことになるでしょう。つまり、どんなに選択を誤ったとしても、責任を取らなくてもよいという前例をつくることになる。
いずれにせよ、この人、晩節を大いに汚しましたね。政治家とか大企業のトップとかでもないのに、ここまで露骨に老醜を曝せる人というのも、なかなかいないと思われます。
東大阪大学・子ども学部・ヤンキー学科
「生き埋め」事件、2遺体発見…殺人容疑再逮捕へ
私立東大阪大学(大阪府東大阪市)の男子学生ら2人が岡山県内で集団暴行を受け、行方不明になっている事件で、大阪、岡山両府県警の合同捜査本部は27日、主犯格の無職小林竜司容疑者(21)(暴力行為容疑で逮捕)の立ち会いで、岡山市灘崎町奥迫川の資材置き場を捜索、男子学生らとみられる2人の遺体を発見した。
時事ネタで申し訳ないけれど、この事件の舞台が大学というのがなかなかに新しいと思います。ひと昔前だと、高校とか中学校で起こっていたことが大学で起こるようになったようです。
大学に幻想をもっちゃいかん、と思ってはいたものの、ここまで状況は進んでいたのですね。文部科学省は、大学を沢山作って、何をしようとしていたんだろう?という疑問もあるにはあります。
日本1−3オーストラリア
なんと申しましょうか。ある意味、惨憺たる結果を予想していたこととはいえ、ここまで酷いことになってしまうとは・・・。こういうのも、ワールドカップというんでしょうか・・・。
・・・4年後に期待しましょう。
アルゼンチン2−1コートジボワール
ワールドカップに限ったことではないけれど、アフリカの選手が出てくると、身体能力が高い、という話になる。そういった物言いは、「でも、あいつらは、身体能力だけだから」という意味も含んでいることもあって、それはそれで健全な話ではない場合もある。
とはいえ、コートジボワールのドログバを見ていると、身体能力のことを考えざるをえず、でも、あらかじめ言っておくと、これは、もちろん、ドログバがそれだけの選手であるということを含意しているわけではない。ドログバは、普段、チェルシーの選手で、チェルシーといえば、戦術的な規律がもっとも厳しいチームのひとつだ。あたまが良くなければ、あのチームでトップの一角を委ねられるわけがない。
それに、コートジボワールというチーム全体を見てみても、戦術がない、なんてことはなくて、むしろ、約束事は明確にされているようにも思えた。例えば、真ん中にボールをあてて、その選手が溜めているあいだにサイドに走りこむ、といった作業は、90分のあいだ徹底されていたようにも思われる。
そういったことを踏まえた上で、それでも、やはり、彼らの恐ろしいほどの強さ、高さ、速さに目がいってしまう。コートジボワールが点をとった瞬間を思い出してみて欲しい。
まず、右サイドにボールが流れた。かなり強めのパスだったから、間に合わないのではないか、と予想されるけれども、右サイドの選手は追いついてしまう。速い。ともかく、速い。そして、センタリング。
そのボールは、ドログバのあたまをかすめて、左サイドの選手にわたる。ボールは弾みすぎていて、彼は、頭で処理するほかないのだけれども、それを前方に勢いよく押し出すようにする。ボールは、ゴールラインを割るような雰囲気だ。確かに、そうでもしなければ、ポジショニングに長けたアルゼンチンの選手を置き去りにすることはできないのは分かるけれど、ちょっと、やりすぎなんじゃないかと思う。ミスなんじゃないか、と。でも、彼は追いつく。追いついて、鋭い足元へのパスを折り返す。
これだけでも、充分に驚異だった。けれども、それだけで終わらない。最後に、ドログバが後ろに下がりながら、シュートを打つ。後ろに下がりながら、前にシュートを打つ、というのは、とても難しい。重心がぶれてしまうからだ。でも、ドログバはそれを易々とやってしまう。しっかりと左足を踏みしめ、そして、右足を強く前に押し出す。
この一連の流れを見るだけでも、彼らの強さ、速さ、高さに見とれてしまう。そして、そういったプレイのひとつひとつに、僕たちは、何と言うか、夢のようなものを見たような気になる。ファンタジーを感じてしまう。サッカーはそれだけではないけれども、でも、その瞬間は、これだけあれば、別になにもなくて良いんじゃないかと思ってしまう。
そのくらいに彼らのプレイは美しかった。アルゼンチンと共に、ぜひ決勝トーナメントに進んで欲しいと思う。
イングランド1−0パラグアイ
友人夫妻とお酒を飲んでいたけれど、友人も自分も、どうしても、イングランドの試合を観たくなって、家に戻って、後半から見ることになる。状況はすでに、ベッカムのフリーキックで、イングランドが1点を先制している状態。
イングランドの最初の試合であって、しかも、相手はしたたかなパラグアイ。なにが起こるか分からない。事実、パラグアイは、後半に入って、何度もイングランドのゴールを脅かす。イングランドは、後半が進むにしたがって、蒼ざめていくようにも見える。
いや、それ以上に、イングランドは怯えているかのように見える。ディフェンスラインは、時として、6人になる。ベタ引きだ。怯えているイングランド。そして、目を凝らして、相手方の強固な守備の綻びを見つけ出そうとするパラグアイ。場合によっては、パラグアイが勝つかも知れないというサスペンス。
でも、と僕たちは思い出すのではないだろうか。
例えば、フランスでのイングランドとアルゼンチンの試合。フランスでは、オーウェンの美しいゴールがあった。あのゴールは、イングランドを勢いづかせ、時として、確信めいたものを感じさせた。しかしながら、イングランドはアルゼンチンに破れた。
例えば、札幌でのイングランドとアルゼンチンの試合。イングランドは怯えていた。アルゼンチンは、恐らく、マラドーナ以来の優勝を狙えるようなチームだった。だから、ベッカムがペナルティーキックに成功した後に、イングランドはベタ引きになった。やってくるボールを跳ね返すだけ。そして、イングランドは、フランス以来の、いや、メキシコ以来の屈辱を晴らした。
そして、パラグアイ。後半30分すぎから、イングランドは、ただ跳ね返すだけになる。クラウチはボールを溜めることができない。ごくたまに、パラグアイに冷や汗をかかすものの、しかし、それらはすべて単発で終わる。
そして、ロスタイムが過ぎて、試合が終わる。イングランドの勝利。パラグアイは、またしても、善戦しながら勝つことができない。でも、仕方がない。怯えているイングランドは、ともかくも強いのだから。