もう終わった人

オシム氏は「今後、彼が何をするかは彼の自由だが、サッカー界で何らかの仕事を続けてくれると祈っている」と話した一方、中田を中心とした『黄金世代』については、次期日本代表の構想の中で、「もう終わった人もいるし、まもなく終わる人もいる」と指摘し…

おまえが辞めろ!

鮮やかでさわやかな決断 川淵・日本サッカー協会会長 川淵三郎・日本サッカー協会会長の話 全く予想だにしなかったことで驚いた。ヒデらしい鮮やかでさわやかな決断だと思った。今後とも日本サッカー界の発展に力を貸してくれるものと信じている。本当に長い…

Jリーグ100年構想

川淵三郎キャプテン(69)が24日の会見で極秘交渉中のオシム監督の名前を漏らし、27日にはオーストリアのオシム監督の自宅で田嶋委員長が契約交渉を行った。千葉抜きで事態が進んだことに淀川社長は怒りを隠せなかった。 「川淵さんが失言で謝罪したと…

東大阪大学・子ども学部・ヤンキー学科

「生き埋め」事件、2遺体発見…殺人容疑再逮捕へ 私立東大阪大学(大阪府東大阪市)の男子学生ら2人が岡山県内で集団暴行を受け、行方不明になっている事件で、大阪、岡山両府県警の合同捜査本部は27日、主犯格の無職小林竜司容疑者(21)(暴力行為容…

日本1−3オーストラリア

なんと申しましょうか。ある意味、惨憺たる結果を予想していたこととはいえ、ここまで酷いことになってしまうとは・・・。こういうのも、ワールドカップというんでしょうか・・・。 ・・・4年後に期待しましょう。

アルゼンチン2−1コートジボワール

ワールドカップに限ったことではないけれど、アフリカの選手が出てくると、身体能力が高い、という話になる。そういった物言いは、「でも、あいつらは、身体能力だけだから」という意味も含んでいることもあって、それはそれで健全な話ではない場合もある。 …

イングランド1−0パラグアイ

友人夫妻とお酒を飲んでいたけれど、友人も自分も、どうしても、イングランドの試合を観たくなって、家に戻って、後半から見ることになる。状況はすでに、ベッカムのフリーキックで、イングランドが1点を先制している状態。 イングランドの最初の試合であっ…

川崎フロンターレ2−1浦和レッズ

前回の試合で、3−4で負けてしまったので、「あーあー」とか思っていたら、いや、勝ってしまいました。アウェイゴールで、ナビスコカップ準決勝に進出。 あの反則的にすさまじい人たちの集まりに勝ったんですか。なんか、もう、想像を超える事態です。僕は…

突然どうでもよくなる

とはいえ、同時に、そういっているわけにもいかないのではないか、という気もする。 なにが言いたいかといえば、「人間っていうのは、そういう風にできているんですよ。いや、君も大人になれば分かると思うけど、労働っていうのは、そもそも疎外されるもんな…

闘争領域と欲望

そんな風に考えると、ミシェル・ウエルベックの『闘争領域の拡大』は、疎外に対する警告であるかのようにも映る。語り手は、幾度となく、労働や苦痛がそれに見合った結果をもたらしてくれないことに注意せよ、注意せよ、と警告を発する。歯車と歯車がきちん…

我々のささやかな疎外

子ども頃には、いや、大学を卒業するあたりまでは、仕事をする、というのは、ごく単純に仕事をするということだろうと考えていた。仕事が苦痛で退屈なものであるとしても、それは、仕事から派生するものであって、仕事とは無関係なものではないという風に楽…

痙攣とチンパンジー

これから書くことはすべてフィクションとして読んで欲しいのだけれども、まず、職場の隣の席の人の震えがある。 彼は三十分ほどのあいだに1回ほどの割合で、からだをガタガタと揺らす。今、「揺らす」と書いたけれども、それは痙攣に近く、「カタカタカタ」…

大トリさん

フジロックの大トリの情報が奇妙なところから流れてきましたね。 ストロークスですか。正直、見たい。見たいけど、モグワイと重なったら、モグワイのほうが見たい。どうしよう?

わがうちなるヤンキー

最後に、個人的なことを書くと、『SEX』の連載がされていた時期、都心の私立高校に通っていた。バブル経済が崩壊する直前の話で、その文化的な状況は、少なくても、ヤンキーとはほど遠い場所にあったはずだった。事実、東京の北のほうに住んでいて、未だ…

混血児としてのヤンキー

ここで気に掛かるのは、そもそも、ヤンキーとは何か?ということだ。今、『SEX』のドメスティックな側面を例に挙げたことからも分かるように、実際のところ、それは、日本固有の文化的状況を示しているものと、まずは、考えることも許されるだろう。そう…

ヤンキーの影

上條淳士の『SEX』という漫画がある。知らなかったのだけれど、先日、13年ぶりに完結したらしい。高校生の頃、三巻の途中まで読んでいたけれど、長い中断のために「もう、出ないんだろうな」と思っていて、見落としていた。 舞台となるのは、東京の福生…

ヤンキー批判序説

菊地成孔の『CDは株券ではない』をお風呂に入りながら読んでいたら、ナンシー関の「日本人はどんなにあか抜けて見せようとファンシーとツッパリからは逃げられない」という言葉が引用されて、長渕剛の曲が紹介されていた。 ナンシー関の原著にあたっていな…

テレビキッズの憂鬱

ところで、思い出すのは、『ドラッグストア・カウボーイ』の終わりのことで、そこでは、薬を濫用することで、何処かに行くことができると信じられた時代の男がのっぺりとした時間を生きる少年に刺される場面で、物語が終わっていた。男がそこで死んでいたと…

Rape me, rape me.

では、『ラストデイズ』では、どうか。そこに救済はあるのか。 そこでは、『エレファント』と同じように、長廻しが使われて、かつてほどは執拗ではないものの、同じ時間が反復される。森のなかを歩きまわる男。冷え切った屋敷のなかの錯乱。それは繰り返され…

Why don't you kill me?

ガス・ヴァン・サントの『エレファント』では、長廻しのシークエンスが多用されている。でも、同時に印象的なのは、同じ時間が異なったかたちで執拗なまでに繰り返されているということだ。虐殺に至るまでの数時間が何度も何度も繰り返される。 それを眺めて…

今年を予想する

それじゃあ、今年はどうなのか、と言われると、1ヶ月に1度くらい書いていくという感じになるんじゃないかと思われます。とりあえず、今は、森達也のことを書きたいな、と思っております。

1年を振り返る

で、1年間の日記をざっと見ていくという作業を行ったわけですが、しかし、ずいぶんと無茶苦茶な変容をきたしていますね。書いている対象が今とぜんぜん異なっている。 昨年春ごろは、憲法の話なんかを一生懸命書いていたわけですが、最近は、もう人が変わっ…

大掃除

昨年の初めにもやったのですが、昨年一年間で書いたもののなかで、「どうでも、いいや」と思えるものを消してしまいました。幾つかコメントを頂いていたものがあったのですが、歴史修正主義者として、昨年に引き続き、消してしまいました。せっかく、コメン…

自由にとどまる

それにしても、こう見てみると、現代の作家たちは、なかなかに難しいところにおかれていることにあらためて気づかされる。正直、よくも、まあ、この厳しい戦いを継続しているよな、と心から驚かされる。でも、少しばかり心が暖められる。 グリーンバーグが述…

物語の終わる場所で

ここで、『野生の思考』にふたたび戻ってみることにしたい。 このなかで、レヴィ・ストロースは、先ほどのブリコラージュという方法と科学的な方法を区別して考えている。科学の方法においては、「構造を用いて出来事を作る(世界を変える)」のに対して、ブ…

モダニズムという体系

ここで、少しだけ過去を振りかえってみたい。今回の展覧会の作家たち、そして、僕たちが今おかれている状況を考えるのに有用だと思われるからだ。取り上げたいと思うのは、アメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグの評論「モダニズムの絵画」*1だ。 …

高度資本主義社会のブリコラージュ

ここで、思い出したのがクロード・レヴィ・ストロースの『野生の思考』*1の有名な「ブリコラージュ」という概念だった。今回の展覧会において、作家たちは、その概念を知っているか否かに関わらず、ブリコラージュの手法を用いていたのではないか。ともかく…

断片化する世界とパスティッシュの手法

このところ、ポストモダンなどと口走ると、哀しいことに嫌な顔をされることが多いので、どうしようかと迷っていたのだけれども、ここで『反美学』*1という論文集を取り上げることにする。1983年にアメリカで出版されたものだ。日本でも、それなりに話題…

既製品としての「かわいさ」

1990年代の後半から今回の展覧会の時期に至るまで、「かわいさ」ないし「かわいい」意匠は、ひとつの流れを形成していたことは確かで、先に長々と「かわいい」と書いていたあいだにも、例えば、奈良美智だとか村上隆のことを思い出す人も多かったのでは…

レディメイドの世界

ここで、「かわいさ」からいったん離れて、今回の展覧会のもうひとつ別の枠組みから見てみたい。既製品という枠組みだ。 マルセル・デュシャンがニューヨークの独立展覧会に「泉」という作品をR・ムットという名前で送りつけたのが1917年の話で、それか…