物語の終わる場所で

 ここで、『野生の思考』にふたたび戻ってみることにしたい。
 このなかで、レヴィ・ストロースは、先ほどのブリコラージュという方法と科学的な方法を区別して考えている。科学の方法においては、「構造を用いて出来事を作る(世界を変える)」のに対して、ブリコラージュの方法では、「出来事を用いて構造を作る」のであり、それらのふたつは、「手段と目的に関して、出来事と構造を与える機能が逆になる」。
 これだけだと分かりにくいので、もうちょっと説明する。科学的な方法では、まず、科学の体系がある。その体系にしたがって、推論が形成されて、それを実証するために実験が行われる。それが成功すると、新しく発見された事象ないし概念が科学の体系のなかに再帰的に組み込まれていくという仕組みになっている。だから、科学の方法おいては、まず、最初に、体系(レヴィ・ストロースの言葉によれば、「構造」)があるということになる。このように、あくまでも、最初にあるのは、科学の体系であって、この体系にのっとったかたちで推論がなされ、実験という出来事が行われるということをレヴィ・ストロースは「構造を用いて出来事を作る」と表現する。
 これに対して、ブリコラージュの方法では、この思考の経路が正反対のベクトルを向くことになる。ここでは、科学の方法に見られたように、あらかじめ体系が与えられているわけではない。とりあえず、出鱈目に生起する出来事が最初にある。偶然といってもよいのだけれども、ともかくも、生きているなかで起こる出来事が目のまえにおかれる。そのおかれた出来事を踏まえて、世界の成り立ちが思考される。
 僕たちは、こういった思考に慣れていないので分かりにくいと思うけれども、例えば、毒キノコのことを考えてみてほしい。科学的な方法を用いないとすれば、僕たちは、食べてみないかぎり、それが毒キノコであるか否かを判断することはできない。毒キノコに属するか否かの判断基準ないし体系があらかじめ与えられているわけではないからだ。ひとつひとつの具体的な毒キノコを食べるという出来事を通じて(つまり、からだを痺れさせたり、げろを吐いたり、そうでなければ、命を落としたり、という陰惨な出来事の積み重ねによって)、類としての毒キノコの系統図というか体系が作られていく。こういった思考の流れをレヴィ・ストロースは「出来事を用いて構造を作る」という言葉で示している。
 このように見れば分かると思うけれども、科学的な方法とブリコラージュの方法のあいだには、あらかじめ与えられている体系があるか否かというところに大きな違いがある。前者では、抽象的ななんらかの体系があって、人々はそれにしたがって、ものごとを考えていくけれども、後者では、あらかじめ抽象的な体系といったものを想定することができない。だから、いくぶん苦し紛れに、具体的な出来事を組み合わせて、ものごとを考えていく。
 さて、ここまでくると、ようやく結論めいたものが見えてきたのではないだろうか。先にも書いていたように、今、僕たちが生きている世界というものは、断片化されて分断されたような状態になっている。大きな物語は崩れ去った後の世界なのだ。僕たちは、僕も知っていれば、あなたも知っているといった普遍的な体系を想定して、ものごとを考えていくことはできない。僕たちが前提としている体系から導かれる結論はあるにはあるのだろうけれども、しかし、他の人はまったく異なった体系にもとづいて生きているかもしれない。そのとき、僕たちと他の人たちのあいだには、当然ながら、結論のあいだに大きな差異が生まれてくるということになる。だから、ほかの人に語りかけるには、まず、なんらかの大きな物語ないし体系を前提として語りはじめるわけにはいかない。もっと繊細で丁寧な対応が求められる。
 こういったことは、恐らく、現代美術の世界においても当てはまるのだろう。
 先ほど、グリーンバーグモダニズムを取り上げたけれども、ここにおいては、なんらかの前提となる体系ないし構造といったものが想定されていた。作家たちは、モダニズムの(仮構の)体系を踏襲するのであれ、深化させるのであれ、あるいは、身を翻すのであれ、その体系にもとづいて、自分たちの手法と表現を割り出すことができた。多かれ少なかれ、ものごとを考えるのに、モダニズムという(仮構の)体系から始めることができたわけだ。そのような意味で、彼らは、レヴィ・ストロースの述べる「科学的な方法」に近接していたと考えることができるだろう。
 しかし、大きな物語が終わってしまった後には、こういった方法はとることができない。もはや、あらかじめ想定することができる体系や構造といったものを前提にできない。戦後直後の焼け野原ではないけれども、ともかくも、なにもないのだ。だから、作家たちは、体系ないし構造のなかからその手法を演繹的に導きだすことが物理的にできない。それに、どんなに、がっちりモダニズムを受け止めて、きっちりとやっていったとしても(それはそれで、本当は必要なことなんだと思うのですが)、「いや、でもさ、それって、あなたの考えるモダニズムなんじゃないの?」といった具合に揚げ足をとられる可能性すらある。場合によっては、(底の浅い)悪質な脱構築エピゴーネンに苛められて、背中の後ろから石を投げられる恐れだってある。そのような意味でも、モダニズムという体系を足場にすることはできない。
 こういった状況のなかに、作家たちはいる。でも、それでもなお、ジェームソンの暗すぎる予測に反して、彼らは、表現に対する熱を失っていない。「ほかの作品とは違いますね」という差異の戯れにとどまっているわけではなくて、きちんと何かしらを表現していきたいと考えている。そのとき、意識的であるか否かを問わずに、作家たちの方法は、ブリコラージュの手法に近接していく。つまり、作家たちは、何らかの体系や構造から、ものごとを考えるわけにはいかないものだから、ともかくも、目の前にあるジャンクなものが積み上げられた山のなかから、なにかしらを取り上げることから、ものごとを考えはじめる。そして、それを組み合わせて、自分が望んでいる表現を組み立てていく。彼らは、場合によっては、身をよじって、苦し紛れになるのかもしれないけれども、それでも、ブリコラージュの手法で果敢に表現のほうに向かっていく。そういったことなのではないだろうか。
 このように見てみれば、今回の展覧会において、作家たちのブリコラージュという手法は、大きな物語が終わった場所でもなお、表現のほうに向かい、表現を持続させるために選ばれたものであったと考えることも許されるように思われる。確かに、苦し紛れのところもあるかもしれない。でも、それでもなお、彼らは、「無表情なアイロニーの現代的な実践」を回避して、新しい場所に向かっていこうと試みている。そんなことさえ感じる。