モダニズムという体系

 ここで、少しだけ過去を振りかえってみたい。今回の展覧会の作家たち、そして、僕たちが今おかれている状況を考えるのに有用だと思われるからだ。取り上げたいと思うのは、アメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグの評論「モダニズムの絵画」*1だ。
 ところで、今、「美術批評家」という言葉を使ったけれども、この人は「美術批評家」というちょっと軽めの言葉に似つかわしくない印象もある。一般的にそう信じられているように、仮に、批評というものを語るものに従属している言葉の連なりであると素朴に考えてしまうのであれば、この人の書いている文章は、批評というカテゴリーに収まらないような気もする。その文章は、対象に従属しておらず、多分に自律的なところを感じさせる。つまり、何と言うか、濃い。個人的には、グリーンバーグというと、美術批評界のマイルズ・デイヴィスのような印象があるほどだ。だから、非常に作家性のある人で、この人の紆余曲折を詳細に追っていってみないと、本当のところは分からないのではないかという気もする。
 そういった意味で、この人の美術評は、その平易な文章とは裏腹に、いろいろな意味で捩じれて、簡単に読み下すことができない。そのことを前提として、しかし、ここで、まず、この人の有名な「モダニズムの絵画」という論評を見てみることにしたい。
 このなかで、グリーンバーグは、モダニズムの絵画をモダニズムの絵画たらしめているのは「平面性」であるとしている。絵が描かれる画布が平らであるということを踏まえた表現がモダニズムの絵画であり、それまでの絵画は平面性を隠すために、いろいろな技巧を駆使してきた。これに対して、モダニズムの絵画では、それとは正反対のことがなされている。つまり、「モダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性に向かった」のである。
 どうして、こうしたことが起こったかといえば、(彼によれば、カントが先鞭を売ったという)モダニズムの本質が「自己−批判」にあったためである。つまり、この評論では、モダニズムとは、それぞれの芸術において、その芸術の形式に固有のものであるのは何か、という批判を深化させることによって、それぞれの芸術の形式を純化させていく過程とされていて、絵画という形式においては、「平面性、二次元性」が「絵画が他の芸術と分かち合っていない唯一の条件だった」のである。このために、グリーンバーグにおいては、「平面性」抜きには、モダニズムの絵画とはいえないということになる。
 この評論は1960年に初めて発表されたようだけれども、なによりも興味深いのは、1978年に記されている彼自身による追記だ。このなかでは、発表時、人々のあいだで、この文章がどのように受け入れられたかということが示されている。それによると、当時の人たちは、この評論に「概括したモダニズムの芸術の「原理」を、筆者自身が採る立場の表明として捉え」、「筆者が記述していることは、筆者の唱導することでもある」と読んだようである。これに対して、グリーンバーグは、そんなことはないと否定する。
 確かに、彼がわざわざ追記で示したように、この評論には、マニフェストといった赴きはない。むしろ、その書き方は控えめで、モダニズムの絵画の擁護と顕彰といったところは、まったくのところ感じられない。そうではあるけれども、他方で、このなかで書かれていることが、彼自身も「原理」という言葉を使っていることからも分かるように、ドグマティックに響いてしまっているところは否めない。恐らく、歴史的に見て、モダニズムの絵画における「平面性」が不可欠な構成要素となっているということを彼はここで言いたかったのだろうけれども、それは、あたかも、「平面性」がなければ、モダニズムの絵画ではないという「原理」として読めてしまうところがある。
 とはいえ、グリーンバーグの真意と読者たちの誤解のあいだに、共通の前提となっているところがあるようにも思われる。つまり、グリーンバーグにせよ、それを誤解した読者にせよ、ともかくも、モダニズムの絵画において、何らかの「原理」が厳然として存在するという理解は共有している。
 この批評家が「平面性」がモダニズムの絵画を歴史的に規定する「原理」であるということを述べているのに、読者は「平面性」という「原理」によって規定される絵画を彼が称揚していると誤解する。ここで見られるのは、グリーンバーグ帰納的に導き出された「原理」を語っているのに対して、読者はそれを演繹的な「原理」として勘違いしてしまっているということだ。でも、こうした議論のすれ違いにも関わらず、彼らのあいだには、モダニズムの絵画には、何らかの「原理」が存在しているはずだ、という理解が前提とされている。次の文章も、その一例として読むことができる。

何代にもわたって続いたモダニズムの画家たちによって、絵画を囲い込む形体つまり枠の基準は、緩められたかと思うと締めつけられ、また再び緩められ、さらにもう一度特別視され締め付けられたのだが、それがいかになされたかを語ることは私の自由になる紙幅を超えてしまう。あるいはまた、仕上げの基準、絵具のテクスチャアの基準、明暗と色彩の対比の基準も検証されまた再検証されたが、それがいかになされたかも同様である。これら全てはさまざまな危険に晒されてはきたが、それは新しい表現のためだけではなく、それらを、基準としてより明らかに提示するためでもあった。提示され明確にされることで、それらが不可欠なものかどうかが検証されるのである。この検証は決して終わってはいない。

 もちろん、グリーンバーグに固有の問題もここにはあるにはあって、例えば、『絵画の準備を』*2(とても面白い)という本のなかで、松浦寿夫は、この論文を取り上げて、「グリーンバーグのテクストに頻出する思考の型は何かというと、(中略)領土の画定ないし確保ということになります。それはほとんど原理ですらなく、ある領域を確保する、この場合であれば、絵画の本来的な領土を確保するという欲望によって組織されています。」と述べている。つまり、グリーンバーグは、その作家としての必然に導かれて、ここでは、あたかも、モダニズムの絵画がひとつの「原理」の廻りを衛星のように回りつづけているかのように語っているということもできるのだろう。
 しかし、他方で、発表当時の人たちの反応を踏まえると、やはり、この文章のなかでは、モダニズムの表現形式に何らかの「原理」があるということが前提とされており、その前提が社会のなかで支配的なものであったと考えることも許されるだろう。その「原理」のひとつとして、この論評では、「平面性」が挙げられている。そのとき、グリーンバーグモダニズムとは、少なくても、この論評においては、芸術の形式を秩序づけ限定するための体系として現れている。その体系に属しているかぎりは、モダニズムの絵画であり、それから外れた場合には、モダニズムの絵画ではなくなる。
 グリーンバーグのこうした文章を読んでみると、それなりに驚くところはある。僕たちは、先ほど、ジェームソンの文章を参照したけれども、そこでは、何らかの「規範」はもはや消滅してしまっていると述べられていた。しかし、少なくても、1960年代初期までは、何らかの「規範」ないし支配的な体系のようなものを前提として、人々は、作品を作ったり、それを受容したりすることができたのだった。彼らは、芸術の形式において、固有の「領土」をもっていて、また、それを確定するための「原理」ないし体系といったものがあると想定することができた。
 しかし、もはや、僕たちは、そういった場所にはいない。つまり、今回の展覧会は、社会において支配的とされる芸術の「原理」ないし体系を想定することができない孤島のような場所において開かれたものであった。そして、そこにおいて、作家たちは、ブリコラージュの方法を用いていたということになる。では、そのあいだには、何かしらの関係があるのだろうか。もちろん、恐らく、いや、たぶん確実に、関係があったように思われる。

*1:引用は以下の本からです。

グリーンバーグ批評選集

グリーンバーグ批評選集

*2:引用は以下の本からです。

絵画の準備を!

絵画の準備を!