郊外の未来へ

 ヤノベケンジは、1997年から「アトムスーツプロジェクト」を開始する。このプロジェクトにおいて、ヤノベは「アトムスーツ」に身を守られながら、砂漠、タイムトンネル、大阪万博跡地などを訪れることになるわけだけれども、ヤノベが最初に訪れたのは、チェルノブイリだった。
 ヤノベが「アトムスーツプロジェクト」を開始することになった経緯を想像するのは、その構想を練り始めたのが1995年であったことを考え合わせれば、同時代人の僕たちにとって、それほど難しいことじゃない。
 1995年に何が起こったか。ひとつは1月17日の神戸大震災であり、もうひとつは3月20日のオウム真理教のテロだった。確かに、僕たちは本当の危険からいまだに遠ざけられていたものの、でも、10年前のこの時期、それらの事件によって、時代の雰囲気が変化したことを僕たちは感じなかっただろうか。少なくても、この優れた作家がこうした空気の変容にまったく反応しなかったことは考えにくい。当時、ヤノベはドイツに居住していたということを考え合わせても、「アトムスーツプロジェクト」のはじまりは、時代の影のもとにあったと捉えることは許されるだろう。
 でも、それと同時に、僕たちは、その最初の場所がチェルノブイリであったということに、ひとつの意味を見出したいと思う。チェルノブイリとは、ヤノベの言葉によれば、「未来の廃墟」ということになるけれども、同時に、それは郊外の廃墟でなかったか。
 もちろん、現実的には、キエフから130キロほど離れているチェルノブイリをもって、郊外であるとするのは、無理があるかもしれない。それでも、ヤノベが提示するイメージ、つまり、写真のなかに、僕たちはどこかで見慣れた風景を彷彿とすることも否定できない。
 例えば、「ゴーストタウンと化したフリピェチ市。原子の「未来の廃墟」。」という写真がある。長閑な丘陵地帯を遠景として、埃っぽい日の日ざし(もしかしたら、その光のなかには、不可視の放射能が含まれているかもしれない)に曝された団地を俯瞰する写真である。もちろん、「ゴーストタウン」なのだから、人々の姿は見えない。しかし、その鉄筋コンクリート造りの団地、建物と建物のあいだに作られた雑草の繁茂するコンコース、言い訳のように植えられた木々、集会所として使われていただろう壁にひびが走っている低層の建物に僕たちは見覚えがある。
 こうした構成をとった団地は、東京の北区になかっただろうか。ひとつの街をなすかのような、それでいて、人の気配を消滅させたような集合住宅としての巨大な団地。無機質なコンクリートとその寒々しさをかえって強調するかのように枯れかけたツツジが植えられたコンコース。そして、砂場と滑り台とブランコという最低限の遊具だけで占められる公園。この空間で生きている者の痕跡といえば、つたない指使いで叩かれるピアノの鍵盤の音だけ。
 東京のはずれには、こうした風景はうんざりするほど広がっている。いや、僕たちは、川崎でも、横浜でも、そして、平塚においてでさえ(なんで、そんなところに訪れたかはさておき)、そんな世界を見つけることができる。都市の欲望が肥大化するのと並行して、郊外も拡大していく。
 それに、郊外とは、そもそものところ、都市との関係でのみ浮上してくる概念でもある。それは、都市の欲望を満たすために形成されるものであって、自分のアイデンティティーを都市に委ねてしまう虚ろな場所である。例えば、フランス語で「郊外」を示す「banlieue」の定義は、プティロベールによれば、「都市を取りまいているまとまった人口過密地域」ということになる(ごめんなさい。オクスフォードの辞典とかを調べにいく余裕がありませんでした。)。郊外とは「都市を取りまいている」場所であって、都市を取り除いたときには、なにも残らないネガティブな空間の総称である。
 とすれば、商業用発電所であったチェルノブイリもまた、郊外と呼ばれるべき空間に位置づけることは許されるように思う。チェルノブイリとは、都市の電力消費、そうでなければ、都市の欲望を満たすためだけに形成された地域であって、都市との関係においてのみ意味づけを与えられた場所である。僕たちが生活をする郊外と同じように、それは、自分のなかに包含している歴史や文化を投げ捨てて、自分を都市との関係のなかに投企することによってのみ、そのアイデンティティーを見出すように強いられた呪われた空間なのである。
 そのように見るとき、原子力発電所に勤務する者たちのために作られた団地は、東京の都市部ないし京浜工業地帯で働く者たちのために作られた団地と響きあう。ヤノベの提示する「ゴーストタウンと化したフリピェチ市。原子の「未来の廃墟」。」のイメージは、「未来の廃墟」であると同時に、僕たちの郊外の未来を映し出している。こうして、「アトムスーツプロジェクト」において、ヤノベは郊外の未来へと足を踏み入れることになる。

アトムスーツの変容

 恐らく、予想外のことであったと思われるけれども、ヤノベは、この郊外の未来において、そこに居住する人々に出会うことになる。原子炉から30キロメートル圏内にある強制退避区域とされるゾーンは一般の人間の立ち入りは禁止されている。だから、当然ながら、その地域には誰も住んでいないだろうと、僕たちも思う。
 でも、実際には、そこで生活する人々は存在していた。強制的に移住された環境に対応することができない年金生活者やメルトダウンを起こした原子力発電所の隣にある、いまだに稼動中の原子力発電所(現在は停止されたらしい)に勤務する労働者。さらに、両親の離婚のため、ゾーンで生活することを強いられた3歳の幼児。ヤノベは、これらの人々がチェルノブイリで生活をしている姿に出会ってしまう。
 もちろん、僕たちは、ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画を敷衍することによって、この状況をシニカルに笑うこともできるだろう。彼らのなかに、国家によって、生けるままに死すべきものとされた郊外生活者たちの姿を読み取ることはできるかもしれない。恐らく、その読みは間違っていないとも思う。
 でも、僕たちは、そんな風にチェルノブイリの人々を簡単に笑い飛ばすことができない。僕たちもまた、郊外生活者であり、多かれ少なかれゾンビであることには違いがない。仮に、チェルノブイリが郊外の未来のひとつの姿であるならば、その人々の姿は、同時に、僕たちの未来の姿ともなりうる。まず、そういったところで、僕たちには彼らをゾンビと呼ぶことに抵抗がある。
 さらに、ヤノベの提示する写真のなかには、そのように笑うことを躊躇わせるものがある。二枚の写真を対比してみよう。
 まず、廃墟となったフリピェチ市の保育園の写真がある。幾つにもひび割れた壁のところどころで、その明るい空色のペンキが剥げて、無残にもコンクリートが剥き出しになっている部屋。床のペンキも湿気のためにところどころで膨れあがっている。その上に、乱雑に積まれたベビーベットの残骸がある。腐乱した死体のようにクッションも転がっている。さらに、子どもたちの玩具、裸になった人形たちの姿も目にできる。彼らの姿を見て、僕たちは、かつてそこで遊んでいた子どもたちの死骸をイメージするかもしれない。廃墟としての保育園。僕たちの未来。こうしたデッドエンドの記憶のなかで、アトムスーツを着用したヤノベがベビーベットに座り込んでいる。
 この空間は、アトムスーツに似つかわしい。この光景はあまりにも死の匂いに溢れていて、その気配から身を守るためには、やはり、アトムスーツのようなプロテクターが必要であるように映る。死の不安と自らを区別するための示差の記号として、黄色いアトムスーツは、その本来の意味を失っていない。だから、この写真をみる限りでは、確かに、僕たちがシニカルに笑うことも許されるような気もしないでもない。
 でも、ヤノベが提示するのはそれだけではない。もう一枚の写真がある。
 ゾーンに住むことを余儀なくされた3歳児の幼児と、アトムスーツを着用したヤノベが砂遊びをする写真だ。3歳のあどけない表情の子供が大きなスコップで玩具のトラックの荷台のうえに砂を不器用に流し込もうとしている。アトムスーツを着たヤノベはしゃがみこんで、小さなスコップでその積み上げられた砂をならしている。3歳児のまなざしは砂が積まれた荷台のうえにまっすぐと注がれ、その表情には、3歳児が遊びに夢中になった時に浮かべる、あの柔和で少しだけ得意げな微笑が浮かべられている。
 例えば、廃墟となった保育園のなかでは、そうでなければ、誰もいない錆だらけとなった観覧車のなかでは、アトムスーツが有していた意味、つまり、自らを守るものとしてのプロテクターという意味は維持されている。でも、ヤノベと3歳児のささやかな邂逅を映したこの写真では、アトムスーツの本来の意味は瓦解してしまう。3歳児の無邪気な姿のまえで、ヤノベはなにを守ろうというのか。この光景のなかでは、アトムスーツはしっくりといかない。グロテスクとさえ言えるかもしれない。
 もちろん、そこには、見えない放射能という危険はあるのだろう。このような過酷な環境のなかで、3歳児がなにも知らないで無邪気に遊んでいる姿を見て、核の悲劇というステレオタイプな言葉を思い出す人もいるかもしれない。でも、それだけじゃない。もし、それだけだと言うのであれば、ヤノベが提示する写真は僕たちを揺さぶらない。少なくても、僕たちが普通に目にするような報道写真と同じ程度にしか、僕たちを揺さぶらない。
 むしろ、アトムスーツの醜悪さに注目すべきなのだろうと思う。たとえ放射能の脅威があるにせよ、たとえそれから身を守る必要があるにせよ、その日常的で微笑ましい生活の風景のなかで、アトムスーツはあまりに過剰であり醜悪である。自分の身を守るためとはいえ、そんなものを着たままで、ヤノベは無邪気に笑う子どもと遊ぶべきではなかった。一緒に砂で手を汚して、幼児が発する、あの甘くて少しだけ鼻を刺すような匂いを感じながら、ヤノベはその子どもと束の間の時間を共有すべきだった。
 そのように感じて、僕たちは地と図を反転させることになる。問題とすべきなのは、チェルノブイリという場なのではない。未来の廃墟でもない。或いは、郊外の未来でもない。僕たちがフォーカスをあてるべきなのは、放射能の恐怖を超えて、廃墟となった陰鬱な郊外の未来を越えて、子どもが砂遊びをしているという、そういった事実である。
 そうでなければ、もう一枚の写真がある。この子が大切そうに仔猫を抱えている写真だ。仔猫は、抱きかかえられて眠たげに半目を開きながら、子どもの柔らかな胸に小さな吐息を吹きかけている。たぶん、僕たちが目を奪われるべきなのは、その子と仔猫の柔らかな感触なのだ。そのリアルな感触はアトムスーツが持っていたコンセプトに裂け目を入れるだけの強度を有している。
 もちろん、アトムスーツに裂け目を入れるのは、それだけに留まらない。ヤノベは、ゾーンのなかで、多くの人々と出会う。その記憶が写真として残される。その多くは「人のよい老人たち」であって、時として、「ヤノベが計測したガイガー・メーターが低レヴェルを示した」のを見て、「ここは安全レヴェルなのに、なぜ、私たちは孫と一緒に住めないんだと嘆き悲しむ人たち」であり、そうでなければ、「こいつは俺たちを笑いものにするために来たんだ」と怒り出したり、殴りかかろうとする人たち(まあ、そうしたい気持ちも分かりますね)である。彼らはゾンビなどではない。彼らはまだ生きている。放射能が降り注ごうが、街が廃墟になろうが、その事実は変わることがない。
 こうした事実を前にして、アトムスーツに裂け目が入る。実際、ヤノベは、DVDに収録されるインタビューにおいて、チェルノブイリの人々を前にして、自分が着用していたアトムスーツを脱ぎ捨てるべきじゃなかったかと述懐している。そうしないと許されないのではないか、と。
 ヤノベがこう語るとき、チェルノブイリの人々のリアルな生のインパクトを前にして、アトムスーツはその意味を完全にもはや失ってしまっていることに僕たちは気づくのではないだろうか。それは、不安から自分の身を守るためのプロテクターではなくて、ごく単純に、人々のリアルな生の感触から彼を遠ざけるだけのファンタスムでしかなくなる。ヤノベの想像的な(イマジネールな)自己像であったアトムスーツは、チェルノブイリの人々を前にして、裂け目を入れられてしまう(そんな必要はないのだけど、ラカンの用語によるならば、ここにおいて、ヤノベの作品郡は、鏡像的な自己の象を打ち壊して、象徴界へと足を踏み入れたということもできるかもしれない)。
 そして、ヤノベのその後の軌跡を見るとき、チェルノブイリの人々との出会いによって、アトムスーツに裂け目が入れられたことは、それなりに重要な意味をもっていたんじゃないかと思う。その裂け目をイメージとして辿るのであれば、それは、大阪万博の跡地に設えられた太陽の塔の目玉にリンクしていく。

もうひとつの出口

 ヤノベによれば、その創作の(ファンタスムの)原点となったのは、大阪万博の解体現場であったという。ヤノベ少年の目には、様々なパビリオンが解体されていく光景が「未来の廃墟」を思わせたという。そういった経緯もあったためか、ヤノベは、ファンタスムの原点に回帰するかのように、アトムスーツプロジェクトの一環として、万博跡地(つまり、万博記念公園)を訪問したり、また、大阪万博時に建造された万国博美術館を引き継ぎ、2004年に解体されることになった国立国際美術館の最後のエクスポジション「MEGALOMANIA」を開催したり、エキスポタワーの解体に際して、「TOWER OF LIFE」というインスタレーションを作成したりする。
 僕たちにはもう明らかなように、ヤノベの万博跡地への拘泥は、郊外生活者のファンタスムに由来するものとしても考えることができる。つまり、その解体現場は、大阪の郊外である吹田市の未来をも意味するものとして捉えることができる。1970年代に建築された団地は、今、その役割を終えて解体されている。それを見越すかのように、万博のパビリオンも解体されていった。大阪万博は、都市の欲望が肥大化するに従って、拡大していった郊外を表象し、その跡地は、いつしか忘れ去られ解体されてしまう郊外の成れの果ての姿を指さしている。
 そのように大阪万博跡地を見るのであれば、万博記念公園はきわめて興味深い場所となる。芝生や木々に囲まれた公園は、郊外の未来のその先を示しているとも考えられる。もちろん、僕たちにしてみれば、それはただの公園なのだけれども、でも、ヤノベが太陽の塔のなかに入って、出口がことごとくコンクリートによって固められてしまっていることを確認して、未来の出口が失われてしまっていたと哀しげに語るとき、この作家において、万博記念公園は、ただの公園などではなくて、自分のファンタスムを仮託する対象とされている。太陽の塔から出口が失われてしまったということは、9・11のテロの時代にあって、郊外生活者の未来を暗示している。デッドエンドとしての僕たちの未来。
 その時、問題となるのは、身体を裂け目なく覆い隠して、自分を守ることなどではなくて、自分のファンタスムの裂け目を探し出して、なんとか脱出口を探すことである。「太陽の塔、乗っ取り計画」はこうした文脈で解釈されるべきなのだろう。
 「太陽の塔、乗っ取り計画」については、最初のところで触れておいた。アトムスーツを着用したヤノベが太陽の塔の目玉のところに這い上がって、それを写真に収めるという、冗談みたいなプロジェクトだ。その概要を聞いただけならば、僕たちは「ああ、現代美術の作家っていうのは、やっぱり、わけわかんないね」と苦笑いして終わりにしてしまうことだろう。
 でも、そうじゃない。照れ笑いをしながら、「太陽の塔、乗っ取り計画」のことを語ってみせるヤノベの眼鏡の奥には、今述べたように、自分のファンタスムの裂け目を探り当てて、その外殻から外へと逃れ出ようという、それなりにシリアスな表情をしたまなざしがある。
 だいたいにおいて、ヤノベがまじめでなかったというのであれば、その計画がただの悪ふざけにすぎなかったというのであれば、ヤノベは大阪万博開催の時に起こった「目玉男」の事件にあれほど拘泥しただろうか。ヤノベは、当時の新聞でさえ、色物の扱いしかせずに、高度成長期の歴史の渦のなかに消えていった「目玉男」の居所をさまざまな資料にあたって、なんとか探し当てる。「目玉男」は、北海道の片田舎で生活をしていた。ヤノベは、直接そこに出向いていき、インタビューを行う。
 大阪万博の開催時、ノンセクトラジカル(ははは)として札幌道庁の道旗と日の丸を引き摺り下ろして、指名手配されていた男(元北海道庁職員!現下着販売店の店長!)が万博にやってくる。彼は、大阪万博はまったくのところ茶番劇にすぎないし、体制に象徴的に対抗するには、万博のシンボルである太陽の塔を乗っ取るのが「より効果的な反権力意思の直接行動である!」と考える。そして、太陽の塔に登って、太陽の塔の目玉に居座る。新聞には、人騒がせな「目玉男」とあくまでも色物として扱われる。
 まあ、困った人である。僕たちは、こういった行動があまり功を奏しないことを知っている。その行動が世界を変容させるということについても懐疑的だ。劣化ウラン弾の悲劇を伝えるために戦時下のイラクに侵入した人がいたけれども、やっぱり、それはあんまり効果がなかった。そういった行動をしてしまう人が好きか嫌いかと言われれば、なんかロックな感じもあるので、たぶん、好きなのだろうけれど、でも、クールに現実に目をやると、費用対効果も気にかかる。そのような無茶をするために支払わなければならないコストに対して、結果としてやってくる効果はあまりに小さすぎる。残念ながら。
 こうした冷静な判断というのもあるにはある。でも、ヤノベのインタビューのシリアスさも無視できない。もちろん、「目玉男」の言葉はそんなに整理されたものではない。例えば、9・11のテロを語りながら、「あのテロを行った人たちは、立派だったと思うよ、うん」という暴言もある。それとともに、「あれ、飛行機で突っ込んだ人、19人だったでしょ。計画では、20人だったと思うのね。でも、1人、抜けちゃった。それもまた人間だよね」と達観しきった(というか、妙に核心をついた)言葉もある。DVDでは、編集されてはいるものの、それでも、その言葉はあちらこちらに飛んでしまい、ヤノベのファンタスムの出口を「ここにあるよ」と簡単に指さすことはない。ちぐはぐだ。
 でも、「目玉男」の言葉のちぐはぐさの中に、僕たちがざらりとしたリアルな感触を覚えるのも事実だ。彼の言葉は、写真のなかのチェルノブイリの人々の姿と同じように、それなりの重さをもって迫ってくる。
 仮に、「目玉男」がなんの誠実さ(たとえ、読み違えによるものであっても)を持ち合わせずに、ベトナムで起こっている悲劇を自らと切り離すことをできた人間であったら、どうだったであろうか、と僕たちは考える。ただ、実直に官庁に勤め上げて、膨大な書類に目を通して印鑑を押し続けなければならないのは確かであるとはいえ、平穏でそれなりにステータスのある生活を送れたのではないだろうか(それはそれで悪いことではない、もちろん)。今頃、退職金をもらって、夫婦で温泉にでも行って、「まあ、いろいろ大変だったけど、それなりに良い人生だったと思うよ」と泡の消えかけたビールの入ったグラスを傾けながら語っていたのではないだろうか(それはそれで、それなりにおぞましい図ではある)。でも、「目玉男」は、そういった生活を選ばなかった。そして、今、屈託の多そうな下着店の店主をやっている。それが意味するところは、それなりに重い。
 正直にいうと、浮き足立った生活を送っている僕たちは、その重さにたじろいでしまう。太陽の塔の不法占拠という愚行は、「目玉男」の生涯を賭けた作品のようなものなのだ。だとすれば、その時、彼はなにを賭けていたのだろうか。なにを夢見ていたのだろうか。もちろん、繰り返しになってしまうけれども、太陽の塔を占拠したところで、世界の何かが変わるということはない。新聞の三面記事を賑わして終わりになるのがせいぜいのところだ(もしかしたら、小学生がそれを見て、しばらくのあいだ、「目玉男」ごっこが流行するかもしれない)。
 でも、やっぱりそれだけじゃない。見るべきなのは、たぶん、「目玉男」が果たそうとして、果たせなかった夢である。その有効性はともかく、その馬鹿馬鹿しさはともかく、その背景には、ベトナム戦争日米安保体制を含めた冷戦体制や核の憂鬱や、そうでなければ、第二次大戦の記憶や、そういったものが一緒くたになった危機がある(おおよそ混濁しているけれども、「目玉男」と同世代の僕たちの両親を見ていると、恐らく、当時の状況というのは、そういった混濁した思考を生み出していたのではないかと思われる)。そして、その危機に対抗して、そこから抜け出すためには、「目玉男」は、その未来を賭けて、なにかをしなければならなかった。ここで、太陽の塔の占拠が持ち上がる。それは、危機から抜け出すために、「目玉男」が自分の生涯をかけて行ったひとつの具体的な試みである。
 そのように考えると、「目玉男」の愚行は、それなりの意味を帯びてくる。言うまでもないことだけれども、危機を前にして、あたまをあんまり使わないで行動する、というのが重要なのではない。行動だけすればよいというものじゃない。
 でも、同時に、その行為は、デッドエンドを前にして、それからなんとか逃れ出ようという切実な行為でもある。つまり、太陽の塔の不法占拠は、オルタナティブな未来を見つけ出そうという行為であり、平面的で一義的で限定された可能性しかない未来の表面に傷を入れ裂け目を作り出し、そうであるかもしれない未来のなかに身を乗り出そうという試みである。このように理解するとき、その馬鹿馬鹿しさも含めて、ヤノベが「目玉男」の行為を反復する意味は、ほとんど明らかなんじゃないだろうか。
 すでに述べたことだけれども、太陽の塔は、その出口をコンクリートで塞がれてしまっていた。ヤノベにおいて、それは、未来の(そう、ヤノベのファンタスムの)出口がすべて失われているということを暗示している。とすれば、ヤノベが象徴的にそれを乗り越えて、脱出口を探し当てるためには、僕たちの言葉で言うならば、アトムスーツの裂け目を切り開いて外部へと出ていくためには、何らかのかたちで、太陽の塔の出口を見つけ出さなければならない。ヤノベには、そういった要請があった。
 その時、「目玉男」が現れる。ヤノベにおいて、「目玉男」は、デッドエンドの、塞がれた出口を逃れて、オルタナティブな出口を探し当てたパイオニアとして位置づけられることになる。「目玉男」は、ただの目立ちたがり屋の色物ではなくて、もしかしたら、ありえるかもしれない未来のもうひとつの出口を見つけだしたヤノベの先駆者なのだ。こうように、「目玉男」をシリアスに扱うことは、ヤノベの思考のシステムには、どうしても求められることであった。
 こうして、ヤノベは、太陽の塔に登ることになる。悪戦苦闘の末、そうでなければ、どうにも冴えない臆病な旅程(「警備員のおっちゃん、見てないやろうか?」)の末、ヤノベは目玉の部分へとたどり着いて、写真を撮る。それを終えると、ヤノベは、アトムスーツを脱いで、「ああ、ええ景色や」と呟く。未来の脱出口で、ヤノベの目にはなにが映ったのだろうか。

デッドエンドを超えて

 恐らく、こういった具合に考えるのが一番つじつまがあうと思うのだけれども、アトムスーツというファンタスムの外殻は、チェルノブイリの人々によって、裂け目を入れられた。そして、「太陽の塔、乗っ取り計画」によって、ヤノベは、その裂け目を切り開いて、ファンタスムを打ち破った。ヤノベはファンタスムから脱出した。こういったストーリーがさしあたっての結論になる。
 でも、最後にひとつだけ見ておきたいことがある。ファンタスムから逃れた今のヤノベの目の前には、どのような風景が広がっているのだろうか。
 2004年10月、ヤノベは、金沢21世紀美術館で「子供都市計画」を開始する(それにしても、なんで、ヤノベはこんなに「計画」という言葉を多様するんだろう?まるで、それは「夏休みの計画」のようでもある。)。そして、この計画は「子供都市―虹の要塞―」という企画展示に繋がっていく。このプロジェクトでは、「市役所職員や看護士、家族などの多くの金沢市民、若いアーティストや美大生」など「大人も子供も含め約300名」が関わって、様々なパビリオン郡が作られていったという。そして、最後には、「子供都市鉄道」、「子供都市放送局」、「子供デスコ」など次々と増殖していくパビリオン郡は、美術館の周りを包囲することになる。
 ここで、その軌跡を思い返すと、ヤノベの作品群はあくまでも個人的なものとして構築されていったものだった。もちろん、どんな作品にもカスタマーは必要だから、それらの展示はされる。でも、ヤノベの創作とは、あくまでもそのファンタスムに形を与える作業であって、アトムスーツの外殻のように、それを見るものからは一定の距離を保っていて、ヤノベの「妄想」という世界に内向していくものであった。それは、閉鎖された系をもっていて、恐らく、その閉鎖の臨界におくべきなのがチェルノブイリの3歳の子供との写真だった。あのような場所においてもなお、ヤノベは、自分をアトムスーツの内側において、3歳児を遠ざけてしまっている。
 それに対して、「子供都市計画」は、驚くほどに開かれている。ヤノベはもうアトムスーツの内側に立ち止まろうとはしない。彼は、自分のファンタスムの外に出ていって、実際に手を汚して砂遊びをするかのようでもある。実際、ヤノベは、この展覧会の過程において自分の製作現場を開放している。チェルノブイリのあの3歳の子どもと砂遊びをするかのように、ヤノベは、この展覧会では、自分の作品を創作していく。
 もちろん、だから、ヤノベのこの試みは「開かれた美術館」という大きなテーマと関係していて、ファンタスムの外にでた彼のまなざしのもとには、21世紀の新しい美術のあり方のひとつが示唆されている、なんて言ってみても良いんだろうけれど、僕たちは、今のヤノベをもうちょっと僕たちに近づけて見てみたいようにも思う。
 僕たちが今まで(長々と?ごめん)やってきたように、ここでも、ヤノベの作品に郊外生活者のファンタスムという補助線を入れてみる。すると、僕たちは、今のヤノベの姿のなかに、僕たちに向けられた、静かな変容を促すようなメッセージを読み取ることもできるんじゃないかと思う。
 もちろん、それは、あの鬱陶しい共同体を再生しようなんて、そんな大げさで、空虚なものではない。そうではなくて、もっと、ささやかなメッセージだ。つまり、子供と遊んでいる時のように、もうちょっと自分を開いてみるのはどうだろうかと、ヤノベはそんなメッセージを静かに伝えているように感じる。
 実際のところ、僕たちは、あまりに個人に拘泥して生きてきた。言うまでもなく、僕たちが個人として考えて生きていくことは大切なことだし、僕たちは自由が大好きだ。それでも、あまりにそれに拘りすぎてしまって、どうにも不自然なところまで、僕たちと世界を切り離しすぎてしまったんじゃないだろうか。
 ヤノベがアトムスーツに身を隠したように、自分なりのファンタスムの内側にとどまって生活していくのは、とても心地が良いことだった。でも、そういった心地よさは、時として、僕たちをあまりに人から遠ざけてしまうこともある。僕たちも、もうそろそろ扉を開いて、自分のファンタスムとは非対称な世界に足を踏み入れても良いんじゃないだろうか。
 そう、僕たちのファンタスムを充実させていくことだけに夢中になるんじゃなくて、ほかの人と一緒に自分の世界をつくっていくことを考えるべき時がやってきたのではないだろうか。僕たちのファンタスムをほかの人のファンタスムと触れさせて、時として、僕たちの世界が大揺れに揺れてしまったとしても、それはそれで、もっと面白いことが起こることもありうる。とすれば、ヤノベが子供たちと一緒に遊ぶのと同じように、僕たちは僕たちを開いて、外に出ていく時がきているのかもしれない。もしかしたら、今、僕たちの扉の外には、僕たちと一緒に遊ぼうと待っている人がいるかもしれない。余計なことだけれど、そんなことも思う。
 いずれにせよ、今回の「キンダガルテン」の展示では、アトムスーツは、ヤノベのそれまでと異なる意味合いを与えられている。確かに、この黄色いスーツはひとつのモチーフとして多用されている。腹話術人形の「トらやん」の多くには、アトムスーツが着させられている。でも、ここではもう、アトムスーツはヤノベを守るべきものではない。それは、小さな「トらやん」が遊ぶためのお遊戯の衣装のようにも見える。そうでなければ、「トらやん」を喜ばせるためのプレゼントのようでもある。
 アトムスーツだけじゃない。「キンダガルテン」の展示には、それまでのヤノベにおいて、あれほど反復されていた、自分を包み込んで自分を守るための装置は見あたらない。その代わりに僕たちが目にするのは、恐らく、チェルノブイリで果たされるべきだったかもしれない夢だ。その空間で、ヤノベはアトムスーツを脱ぎ捨てて、あの3歳の子と一緒に砂遊びをしているかのようだ。
 そして、実際、「キンダガルテン」では、チェルノブイリの夢は果たされているようにも思う。あの死の匂いに満ちた保育室の記憶を反転させるかのように、そこに溢れているのは、子供たちの奇声やわけの分からない叫び声である(いや、本当にうるさかったです)。子供たちは、呆然と「ジャイアント・トらやん」を見上げる。子供たちは、「トらやん」の踊るかのような配置に促されて、あの鉄の塊でできたマンモスの廻りをぐるぐると歩き廻る。子供たちは、アトムスーツ姿の「トらやん」を蹴っ飛ばして、学芸員をびっくりさせる。「キンダガルテン」には、そんな空間が拡がっている。チェルノブイリを越えて、もうひとつの未来が再生する。子供たちが甦る。
 恐らく、「キンダガルテン」は、今のヤノベの目の前に拡がっている風景の一端を垣間見せてくれるのだろうと思う。つまり、チェルノブイリのデッドエンドの代わりの、新しい世界。廃墟ではなくて、もうひとつのベクトルを描いた未来。ヤノベの前には、そんな風景が拡がっている。
 そして、もしかしたら、そこで描かれる未来には、1万年後に永久凍土の中から発見された鋼鉄製のマンモスを見て、目を丸くする子供の顔があるかもしれない。もしかしたら、勝手に馬鹿げたダンスを始めて、子供たちの明るい笑いを誘うような「トらやん」がいるかもしれない。そして、その時、「トらやん」は、今のヤノベと同じように、アトムスーツを脱いでいるかもしれない。だって、その時、僕たちはもう何からも身を守る必要はないのだから。

(おわり)