郊外の未来へ

 ヤノベケンジは、1997年から「アトムスーツプロジェクト」を開始する。このプロジェクトにおいて、ヤノベは「アトムスーツ」に身を守られながら、砂漠、タイムトンネル、大阪万博跡地などを訪れることになるわけだけれども、ヤノベが最初に訪れたのは、チェルノブイリだった。
 ヤノベが「アトムスーツプロジェクト」を開始することになった経緯を想像するのは、その構想を練り始めたのが1995年であったことを考え合わせれば、同時代人の僕たちにとって、それほど難しいことじゃない。
 1995年に何が起こったか。ひとつは1月17日の神戸大震災であり、もうひとつは3月20日のオウム真理教のテロだった。確かに、僕たちは本当の危険からいまだに遠ざけられていたものの、でも、10年前のこの時期、それらの事件によって、時代の雰囲気が変化したことを僕たちは感じなかっただろうか。少なくても、この優れた作家がこうした空気の変容にまったく反応しなかったことは考えにくい。当時、ヤノベはドイツに居住していたということを考え合わせても、「アトムスーツプロジェクト」のはじまりは、時代の影のもとにあったと捉えることは許されるだろう。
 でも、それと同時に、僕たちは、その最初の場所がチェルノブイリであったということに、ひとつの意味を見出したいと思う。チェルノブイリとは、ヤノベの言葉によれば、「未来の廃墟」ということになるけれども、同時に、それは郊外の廃墟でなかったか。
 もちろん、現実的には、キエフから130キロほど離れているチェルノブイリをもって、郊外であるとするのは、無理があるかもしれない。それでも、ヤノベが提示するイメージ、つまり、写真のなかに、僕たちはどこかで見慣れた風景を彷彿とすることも否定できない。
 例えば、「ゴーストタウンと化したフリピェチ市。原子の「未来の廃墟」。」という写真がある。長閑な丘陵地帯を遠景として、埃っぽい日の日ざし(もしかしたら、その光のなかには、不可視の放射能が含まれているかもしれない)に曝された団地を俯瞰する写真である。もちろん、「ゴーストタウン」なのだから、人々の姿は見えない。しかし、その鉄筋コンクリート造りの団地、建物と建物のあいだに作られた雑草の繁茂するコンコース、言い訳のように植えられた木々、集会所として使われていただろう壁にひびが走っている低層の建物に僕たちは見覚えがある。
 こうした構成をとった団地は、東京の北区になかっただろうか。ひとつの街をなすかのような、それでいて、人の気配を消滅させたような集合住宅としての巨大な団地。無機質なコンクリートとその寒々しさをかえって強調するかのように枯れかけたツツジが植えられたコンコース。そして、砂場と滑り台とブランコという最低限の遊具だけで占められる公園。この空間で生きている者の痕跡といえば、つたない指使いで叩かれるピアノの鍵盤の音だけ。
 東京のはずれには、こうした風景はうんざりするほど広がっている。いや、僕たちは、川崎でも、横浜でも、そして、平塚においてでさえ(なんで、そんなところに訪れたかはさておき)、そんな世界を見つけることができる。都市の欲望が肥大化するのと並行して、郊外も拡大していく。
 それに、郊外とは、そもそものところ、都市との関係でのみ浮上してくる概念でもある。それは、都市の欲望を満たすために形成されるものであって、自分のアイデンティティーを都市に委ねてしまう虚ろな場所である。例えば、フランス語で「郊外」を示す「banlieue」の定義は、プティロベールによれば、「都市を取りまいているまとまった人口過密地域」ということになる(ごめんなさい。オクスフォードの辞典とかを調べにいく余裕がありませんでした。)。郊外とは「都市を取りまいている」場所であって、都市を取り除いたときには、なにも残らないネガティブな空間の総称である。
 とすれば、商業用発電所であったチェルノブイリもまた、郊外と呼ばれるべき空間に位置づけることは許されるように思う。チェルノブイリとは、都市の電力消費、そうでなければ、都市の欲望を満たすためだけに形成された地域であって、都市との関係においてのみ意味づけを与えられた場所である。僕たちが生活をする郊外と同じように、それは、自分のなかに包含している歴史や文化を投げ捨てて、自分を都市との関係のなかに投企することによってのみ、そのアイデンティティーを見出すように強いられた呪われた空間なのである。
 そのように見るとき、原子力発電所に勤務する者たちのために作られた団地は、東京の都市部ないし京浜工業地帯で働く者たちのために作られた団地と響きあう。ヤノベの提示する「ゴーストタウンと化したフリピェチ市。原子の「未来の廃墟」。」のイメージは、「未来の廃墟」であると同時に、僕たちの郊外の未来を映し出している。こうして、「アトムスーツプロジェクト」において、ヤノベは郊外の未来へと足を踏み入れることになる。