アトムスーツの変容

 恐らく、予想外のことであったと思われるけれども、ヤノベは、この郊外の未来において、そこに居住する人々に出会うことになる。原子炉から30キロメートル圏内にある強制退避区域とされるゾーンは一般の人間の立ち入りは禁止されている。だから、当然ながら、その地域には誰も住んでいないだろうと、僕たちも思う。
 でも、実際には、そこで生活する人々は存在していた。強制的に移住された環境に対応することができない年金生活者やメルトダウンを起こした原子力発電所の隣にある、いまだに稼動中の原子力発電所(現在は停止されたらしい)に勤務する労働者。さらに、両親の離婚のため、ゾーンで生活することを強いられた3歳の幼児。ヤノベは、これらの人々がチェルノブイリで生活をしている姿に出会ってしまう。
 もちろん、僕たちは、ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画を敷衍することによって、この状況をシニカルに笑うこともできるだろう。彼らのなかに、国家によって、生けるままに死すべきものとされた郊外生活者たちの姿を読み取ることはできるかもしれない。恐らく、その読みは間違っていないとも思う。
 でも、僕たちは、そんな風にチェルノブイリの人々を簡単に笑い飛ばすことができない。僕たちもまた、郊外生活者であり、多かれ少なかれゾンビであることには違いがない。仮に、チェルノブイリが郊外の未来のひとつの姿であるならば、その人々の姿は、同時に、僕たちの未来の姿ともなりうる。まず、そういったところで、僕たちには彼らをゾンビと呼ぶことに抵抗がある。
 さらに、ヤノベの提示する写真のなかには、そのように笑うことを躊躇わせるものがある。二枚の写真を対比してみよう。
 まず、廃墟となったフリピェチ市の保育園の写真がある。幾つにもひび割れた壁のところどころで、その明るい空色のペンキが剥げて、無残にもコンクリートが剥き出しになっている部屋。床のペンキも湿気のためにところどころで膨れあがっている。その上に、乱雑に積まれたベビーベットの残骸がある。腐乱した死体のようにクッションも転がっている。さらに、子どもたちの玩具、裸になった人形たちの姿も目にできる。彼らの姿を見て、僕たちは、かつてそこで遊んでいた子どもたちの死骸をイメージするかもしれない。廃墟としての保育園。僕たちの未来。こうしたデッドエンドの記憶のなかで、アトムスーツを着用したヤノベがベビーベットに座り込んでいる。
 この空間は、アトムスーツに似つかわしい。この光景はあまりにも死の匂いに溢れていて、その気配から身を守るためには、やはり、アトムスーツのようなプロテクターが必要であるように映る。死の不安と自らを区別するための示差の記号として、黄色いアトムスーツは、その本来の意味を失っていない。だから、この写真をみる限りでは、確かに、僕たちがシニカルに笑うことも許されるような気もしないでもない。
 でも、ヤノベが提示するのはそれだけではない。もう一枚の写真がある。
 ゾーンに住むことを余儀なくされた3歳児の幼児と、アトムスーツを着用したヤノベが砂遊びをする写真だ。3歳のあどけない表情の子供が大きなスコップで玩具のトラックの荷台のうえに砂を不器用に流し込もうとしている。アトムスーツを着たヤノベはしゃがみこんで、小さなスコップでその積み上げられた砂をならしている。3歳児のまなざしは砂が積まれた荷台のうえにまっすぐと注がれ、その表情には、3歳児が遊びに夢中になった時に浮かべる、あの柔和で少しだけ得意げな微笑が浮かべられている。
 例えば、廃墟となった保育園のなかでは、そうでなければ、誰もいない錆だらけとなった観覧車のなかでは、アトムスーツが有していた意味、つまり、自らを守るものとしてのプロテクターという意味は維持されている。でも、ヤノベと3歳児のささやかな邂逅を映したこの写真では、アトムスーツの本来の意味は瓦解してしまう。3歳児の無邪気な姿のまえで、ヤノベはなにを守ろうというのか。この光景のなかでは、アトムスーツはしっくりといかない。グロテスクとさえ言えるかもしれない。
 もちろん、そこには、見えない放射能という危険はあるのだろう。このような過酷な環境のなかで、3歳児がなにも知らないで無邪気に遊んでいる姿を見て、核の悲劇というステレオタイプな言葉を思い出す人もいるかもしれない。でも、それだけじゃない。もし、それだけだと言うのであれば、ヤノベが提示する写真は僕たちを揺さぶらない。少なくても、僕たちが普通に目にするような報道写真と同じ程度にしか、僕たちを揺さぶらない。
 むしろ、アトムスーツの醜悪さに注目すべきなのだろうと思う。たとえ放射能の脅威があるにせよ、たとえそれから身を守る必要があるにせよ、その日常的で微笑ましい生活の風景のなかで、アトムスーツはあまりに過剰であり醜悪である。自分の身を守るためとはいえ、そんなものを着たままで、ヤノベは無邪気に笑う子どもと遊ぶべきではなかった。一緒に砂で手を汚して、幼児が発する、あの甘くて少しだけ鼻を刺すような匂いを感じながら、ヤノベはその子どもと束の間の時間を共有すべきだった。
 そのように感じて、僕たちは地と図を反転させることになる。問題とすべきなのは、チェルノブイリという場なのではない。未来の廃墟でもない。或いは、郊外の未来でもない。僕たちがフォーカスをあてるべきなのは、放射能の恐怖を超えて、廃墟となった陰鬱な郊外の未来を越えて、子どもが砂遊びをしているという、そういった事実である。
 そうでなければ、もう一枚の写真がある。この子が大切そうに仔猫を抱えている写真だ。仔猫は、抱きかかえられて眠たげに半目を開きながら、子どもの柔らかな胸に小さな吐息を吹きかけている。たぶん、僕たちが目を奪われるべきなのは、その子と仔猫の柔らかな感触なのだ。そのリアルな感触はアトムスーツが持っていたコンセプトに裂け目を入れるだけの強度を有している。
 もちろん、アトムスーツに裂け目を入れるのは、それだけに留まらない。ヤノベは、ゾーンのなかで、多くの人々と出会う。その記憶が写真として残される。その多くは「人のよい老人たち」であって、時として、「ヤノベが計測したガイガー・メーターが低レヴェルを示した」のを見て、「ここは安全レヴェルなのに、なぜ、私たちは孫と一緒に住めないんだと嘆き悲しむ人たち」であり、そうでなければ、「こいつは俺たちを笑いものにするために来たんだ」と怒り出したり、殴りかかろうとする人たち(まあ、そうしたい気持ちも分かりますね)である。彼らはゾンビなどではない。彼らはまだ生きている。放射能が降り注ごうが、街が廃墟になろうが、その事実は変わることがない。
 こうした事実を前にして、アトムスーツに裂け目が入る。実際、ヤノベは、DVDに収録されるインタビューにおいて、チェルノブイリの人々を前にして、自分が着用していたアトムスーツを脱ぎ捨てるべきじゃなかったかと述懐している。そうしないと許されないのではないか、と。
 ヤノベがこう語るとき、チェルノブイリの人々のリアルな生のインパクトを前にして、アトムスーツはその意味を完全にもはや失ってしまっていることに僕たちは気づくのではないだろうか。それは、不安から自分の身を守るためのプロテクターではなくて、ごく単純に、人々のリアルな生の感触から彼を遠ざけるだけのファンタスムでしかなくなる。ヤノベの想像的な(イマジネールな)自己像であったアトムスーツは、チェルノブイリの人々を前にして、裂け目を入れられてしまう(そんな必要はないのだけど、ラカンの用語によるならば、ここにおいて、ヤノベの作品郡は、鏡像的な自己の象を打ち壊して、象徴界へと足を踏み入れたということもできるかもしれない)。
 そして、ヤノベのその後の軌跡を見るとき、チェルノブイリの人々との出会いによって、アトムスーツに裂け目が入れられたことは、それなりに重要な意味をもっていたんじゃないかと思う。その裂け目をイメージとして辿るのであれば、それは、大阪万博の跡地に設えられた太陽の塔の目玉にリンクしていく。