2006-04-14から1日間の記事一覧

わがうちなるヤンキー

最後に、個人的なことを書くと、『SEX』の連載がされていた時期、都心の私立高校に通っていた。バブル経済が崩壊する直前の話で、その文化的な状況は、少なくても、ヤンキーとはほど遠い場所にあったはずだった。事実、東京の北のほうに住んでいて、未だ…

混血児としてのヤンキー

ここで気に掛かるのは、そもそも、ヤンキーとは何か?ということだ。今、『SEX』のドメスティックな側面を例に挙げたことからも分かるように、実際のところ、それは、日本固有の文化的状況を示しているものと、まずは、考えることも許されるだろう。そう…

ヤンキーの影

上條淳士の『SEX』という漫画がある。知らなかったのだけれど、先日、13年ぶりに完結したらしい。高校生の頃、三巻の途中まで読んでいたけれど、長い中断のために「もう、出ないんだろうな」と思っていて、見落としていた。 舞台となるのは、東京の福生…

ヤンキー批判序説

菊地成孔の『CDは株券ではない』をお風呂に入りながら読んでいたら、ナンシー関の「日本人はどんなにあか抜けて見せようとファンシーとツッパリからは逃げられない」という言葉が引用されて、長渕剛の曲が紹介されていた。 ナンシー関の原著にあたっていな…