ヤンキーの影

 上條淳士の『SEX』という漫画がある。知らなかったのだけれど、先日、13年ぶりに完結したらしい。高校生の頃、三巻の途中まで読んでいたけれど、長い中断のために「もう、出ないんだろうな」と思っていて、見落としていた。
 舞台となるのは、東京の福生。言わずと知れた米軍基地の街。ここで、やくざに追われて、沖縄から逃げてきた二人の男と、そのうちの一人と幼馴染である女が犯罪に巻き込まれながら過ごす、といったような物語だ。
 ここで、最初に打ち明けるならば、それを本屋で見つけたときは、心が躍った。高校以来ずっと終わらなかった漫画だ。どういう風に展開したんだろう?と気になっても許されるだろう。
 しかし、久々に読んでみて驚愕したのは、ここにある世界観というのは、ヤンキーのそれであるということである。もちろん、シャープな絵の力は大きく、また、米軍ややくざが絡むといった舞台装置もよく機能しているとは思う。だから、一見すると、そこに、ヤンキー臭さはないようにも思われるかもしれない。とはいえ、しかし、その根底を流れるのは、やはり、ヤンキーの世界観である。
 日本的な環境に生きていれば、ヤンキーの世界観を経験的かつ直感的に理解できると思うし、万が一、分からないという方がいても、川崎あたりの自動車学校に行って、髪の毛の色をまだら状に脱色している若い人の傍らに座って、その会話を盗み聞きしてもらえれば、その世界観は会話の端々に滲み出てきて、10分ほどでそれを把握できると思われるので、ここでは、くだくだと述べることはしない。
 その代わりに、『SEX』のヤンキー的世界観を端的に示していると思われる例をひとつだけ挙げることにすれば、登場人物たちの地元に対する拘泥がある。
 物語の始まりで、主要登場人物の女性カホが、福生にある米軍ハウスを毎日のように眺めて、幼馴染の男ナツを思い出していたといったエピソードが語られている。ここで、米軍ハウスというのは、福生の提喩と読むことができるわけだけれども、ここに、ヤンキー的世界観を見い出すことができる。
 ヤンキーと呼ばれる社会階層は、端的に言って、地元に拘泥する(というよりも、地元しか知らないのかもしれない)。カホの米軍ハウスに対する感情は、それとパラレルをなしていて、彼女の米軍ハウスに対する湿った思い入れ、というか、拘泥はいかに綺麗に語られようとも、ヤンキーの地元に対する愛着を思い出させる。ヤンキーが最初にデートした場所(チネチッタ川崎?とか)に拘るのと同じような意味合いで、カホは米軍ハウスに拘泥している。
 また、それは、他の登場人物にも言えて、例えば、ユキという男性の登場人物は「沖縄であれ、福生であれ、自分は米軍基地の金網がある土地から逃れることができない」といった内容のことを述べているいるけれども、これだって、端的にいえば、地元ではない世界を知らないヤンキーのことを彷彿とさせる。さらに、ヒガという登場人物に至っては、やくざであり、地元である沖縄が本土からきた暴力団に支配されそうになると、「誰だろうと、沖縄は奪らせねえ」と、まさしく、自分がヤンキーであることを打ち明けてしまったりもする。