祝祭的時空間の遊離

 そうは言うものの、その空間の選択には、危うさというものがあるにはあって、そのことを考えると、結果的に、この優れた選択が同時に今回の展覧会の限界になっていたことも否定しがたい。
 つまり、今、緩やかに「日常からの飛躍」を準備する入場ゲートから会場までの距離のことを書いたけれど、その距離の遠さを裏返すと、それはそのまま今回の展覧会の限界を示していたと考えることもできてしまう。結局のところ、そのような場所が選ばれることで、今回の展覧会は、横浜という場所からいくらか遠ざけられ、別個の存在として遊離してしまった印象がある。
 例えば、山下埠頭倉庫という空間について言えば、先ほどの「保税倉庫」という言葉ではないけれども、それは、社会にとって有害となるかもしれない輸入品を隔離しておくための場所でもある。禁輸品のポルノグラフィーや果実が見つかった時には、行政が運営する廃棄物の焼却工場に直ちに運搬され焼却されるのだから、この倉庫は、社会が受け入れるものと隔離したいものを一時的に保管し選別するための場所でもある。だから、僕たちの住む場所から遠ざけられ、隔離された場所に「保税倉庫」はある。今回の展覧会も、少なからずそういった側面をもっていたようにも思われる。
 確かに、街中に「トリエンナーレ・ステーション」、「トリエンナーレ・スタジオ」、「トリエンナーレ学校」(試みとしては分かるけれども、このネーミングには首をかしげることしきりである)が設えられ、海に突き出た限定的な空間から横浜の街のなかに入り込んでいこうという学芸員たちの切実な想いのようなものを感じ取ることができたのは事実だった。
 しかしながら、横浜トリエンナーレ2005の存在感というものは、横浜という街全体を見渡してみれば、きわめて希薄であって、前回、インターコンチネンタルホテルに括りつけられた(そして、強風に飛ばされそうになった)バッタのような、「ともかくも、こちら側に目を向けろ」といった勢いのようなものは感じられずに、山下埠頭倉庫という限定された空間に綺麗に小さくまとまっていたとも思われる。
 辛うじて、会場を離れた場所で独り気を吐いていたのが、西野達郎の「ヴィラ曾芳亭」という作品で、これは、中華街の公園の「曾芳亭」という雨よけの天蓋つきの休憩場所を利用したものだった。
 これだけだと分かりにくいと思うので、もうちょっと説明すると、この作品は、そもそもあった公園のベンチだとかが置かれた休憩場所のうえに高床を築いて、そのまわりに壁と屋根を設えて、ホテルの一室としての空間を作り出すものだった。もちろん、外見は「プレハブ小屋」と言ってしまったほうが正しい、ちんけな造りなのだけれども、中に入ってみると、ソファー(ル・グランコンフォートでした)がおかれ、そもそもあった公園の雨よけの天蓋はベッドの飾りの天蓋に再利用され、シャワーやトイレもある。さらに、テレビやエアコンまで整備され、公園の休憩場所は、完全にホテルの一室に変換されている。こうすることによって、本来、外側にあったものが内部に取り囲まれ、内側に取り込まれた天蓋ばかりでなく、窓から見える見慣れた中華街の光景さえも少しばかり歪んだものとして感じられる。
 さらに、それだけではなくて、中華街という外側がこの奇妙なプレハブ小屋の出現によって、少しばかり違うものになってしまう。もちろん、中華街に工事現場ができたようなものでしかなかったといえば、それまでなのかもしれないけれども、しかし、あの出現によって、中華街を探索する人々の流れが確かに違うものになっていて、普段、黙殺に近いあつかいを受けて、置き去りにされたような、あの公園に人が集まっている光景というのは、大げさに言うならば、横浜の風景を多少なりとも変容させることに成功していたように思う。
 でも、この作品を除いてしまうと、準備の期間が短すぎて、そこまで至らなかったという現実的な事情は窺えて、残念ではあったのだけれども、今回の展覧会が横浜から遊離した場所で、まさしく「宙に浮いた」存在として感じられたことは否めない。それは、安全な居留地である山下埠頭倉庫というガラス張りの温室のなかで進行していった、都市と切り離された、ひとつの事件であったようにも感じられたのだった。
 もちろん、「サーカス」というのは、テンポラリーな存在であって、時期がくれば、撤去されることを前提として組み立てられるものではある。撤去可能なまとまりを保つことが強いられるのは確かだろう。それに、先にも述べたけれども、それは、街から街へ移動していく存在であって、その境界に身をおくものである。
だから、仮に、今回の展覧会がサーカスと位置づけられていたとすれば、それが共同体にどっぷりと根を生やすことは、そもそも期待すべきではない。共同体にとって、常ならざる存在であるという限定の枠をはめられているからこそ、祝祭的な時空間という演出が可能になるともいえる。
 そのことを踏まえたうえで、なお、もし、それが「サーカス」だというのであれば、その祝祭的な時空間が横浜の街のなかにもう少し拡散していって、僕たちのなかにある横浜というイメージを揺るがせる何事かが起こっても良かったのではないだろうとも思われる。都市のなかで日々生成される無数の物語の流れを少しばかり違ったものとするような演出があっても良かったのではないだろうか。
 残念ながら、今回の展覧会は、そこまでは至らなかった。そして、その一因として、山下埠頭倉庫という限定的な遠ざけられた空間が会場として選択されたことが挙げられるのではないだろうか。
 そのような意味で、今回の会場の選択は、2005年の横浜トリエンナーレの限界も示していたことは否定できないようにも思われる。

(その2に続く)