ゆっくりと遊離する

 そんなことを考えるでもなく、ぼんやりと想って、ふたたび山下公園の方向に目をやるとすぐに、2005年の横浜トリエンナーレの最初の作品が目に映る。
巨大なコンテナが組み合わされて、大きな門を構成している。ルック・デルーというベルギーの作家の作品。産業廃棄物の不法投棄を思わせるところもあるし、天上の世界から墜落した得体の知れない物体が地面に突き刺さっているかのようにも見えないこともない。きわめて卑近なものを感じさせるのと同時に、日常的に用いている解釈格子を離れてみると、異様な物体であるかのようにも思えてくる奇妙な門。ともかくも、ここから「アートサーカス 日常からの飛躍」と題された横浜トリエンナーレ2005がはじまる。
 今回の会場とされたのは、山下埠頭倉庫。
 もちろん、このところ、ホワイトキューブと呼ばれるような空間ないし建築の中で、作品が展示されるのを嫌って、工場だとか倉庫だとか、そういった場所において、作品の展示が行われる世界的な流れがあるにはあって、今回の会場の選択もそうした流れに沿うものということもできるのだろう。
 倉庫や工場といった空間に注ぎこむ、あの、ほの暗い光は、作品を創出するときに作家たちの目に映っている光と近いものであって、だから、それに照らされた作品群は、僕たちにより直接的に働きかけることを可能とするかもしれない。そういった意味で、自分の作品を「文化の神殿」としての美術館ではなくて、倉庫や工場で展示することを好む作家もいる。今回の会場の選択は、そうしたことを思わせるところもある。
 それと同時に、あの未完成で、いくぶん、建築現場を思わせなくもなかった、あの倉庫は、総合ディレクターの川俣正が「工事現場」的作家であったことも思い出させるともに、今回の展示会の期間中、幾らかの作家たちがあの場所で作品を作り出していたのだから、彼の「運動態としての展覧会」という言葉で示されるように、作品が生み出される場として意図されていたと考えることもできるのかもしれない。さらに、その意図に好意的に寄り添うのであれば、あの雑然とした空間は、僕たち自身が作品の創出に参加するまでは未完成なものとして準備されていたのかもしれない。
 でも、山下埠頭倉庫が選ばれた意味というのは、それだけではないようにも思う。
 山下埠頭倉庫は、海と埋立地の境界線上におかれていて、歴史のなかで、横浜という街が果たした役回りを強く感じさせる。つまり、外部と内部が出会うインターフェースないし緩衝材としての役回り。
 もちろん、横浜の実質はただの地方都市ではあるのだけれども、でも、それを記号として見ると、内部にとっては外部であり、外部にとっては内部であるかのような意味を付与される場合が多い。そして、山下埠頭倉庫は、それが海に突き出した人工的で切り離された空間であることもあいまって、横浜という街に与えられてきたイメージを特に強調するところがある。大げさに言ってしまえば、山下埠頭倉庫という空間は、外部からやってきた者がつかの間滞在することを許された居留地であるかのように映る。 
 実際、会場を入ってすぐの岸辺には、ボートピープルアソシエーションという人たちによって、砂利船が浮かべられていて、それを遠目に眺めているかぎりでは、あたかも、海の向こう側から、僕たちの知らなかった、新しい人たちが、横浜という街にやってきて、一時滞在を楽しんでいるかのような印象が生み出されたりもする。
 こうしたことは、大忙しで準備に追われた学芸員たちにも確かに意識されていて、例えば、今回の学芸員の一人である芹沢高志は、山下埠頭倉庫が「保税倉庫」であることを強調している。彼によれば、この倉庫は「輸入手続が終わっていない外国貨物を一時保管しておくための倉庫」*1なのだから、そこに積み込まれた作品群また、どこに帰属するかも曖昧なまま「宙ぶらりん」の状態におかれることになる。まだ、横浜トリエンナーレ2005の「入国手続」は済んでいないというわけだ。
 とすれば、山下埠頭倉庫という選択は、横浜トリエンナーレ2005が、外部からやってきて、最終的には、どこにおかれるかも定かではない一時的な存在として位置づけられるということを暗に示していたということになる。そう考えると、この空間の選択は、確かに「アートサーカス」というコンセプトと見事に響きあっていたということになるだろう。
 今回の展覧会では、「サーカス」という言葉がひとつの鍵概念となっていた。つまり、その副題には「アートサーカス」という言葉が含まれ、会場に入ってすぐの場所にダニエル・ビュランによるサーカスの会場を模したかのようなインスタレーションが配置されていた。だから、僕たちは、ついつい「サーカス」という言葉に意味を繋いで、今回の展覧会が、あたかも、いつしか街にやってきて、いつしか街を去っていく、テンポラリーな祝祭であるといったかのような気にさせられる。
 その時、「アートサーカス」という言葉は「保税倉庫」という場と響きあうことになる。「サーカス」とは、ひとつの街からほかの街の境界をさまようことを義務づけられた存在でもあるわけだから、山下埠頭倉庫という海と陸地の境界に身をおくのが自然であるかのように思えてくるわけだ。そして、僕たちは、自分が身をおいている、この空間に「サーカス」的な時間、日常とは異なる祝祭的な時間が流れているということをすんなりと理解することになる。見事な演出だと思う。
 こうした演出は、もうひとつのダニエル・デュランの作品にも言えて、入場ゲートから会場となる倉庫までは、ダニエル・ビュランの旗が幾千にも重ねられ、僕たちを会場へと招き入れたわけだけれども、その旗が生み出す軽やかな影のうえを歩きながら、僕たちは、次第に中華街やら山下公園やらの喧騒から離れて、それとは異なる世界に足を踏み入れていくことを実感する。緩やかな波の向こう側には、横浜において、もっとも美しい建物のひとつである大桟橋ターミナルが浮かんでいる。入場ゲートから会場までのこの距離のとり方、僕たちの歩かせ方は、素晴らしい演出だった。それは、僕たちを無理に日常から引き剥がすのではなくて、気が付いたら、ふと、浮遊しているかのように誘う。そして、いつの間にか、僕たちは「日常からの飛躍」を成し遂げることになる。
 だから、「アートサーカス」というコンセプトと実際に選択された山下埠頭倉庫という会場のあいだに、美しい協和音が生まれていて、とんでもなく異例な短期間で、よく、ここまで綺麗に纏めることができたものだな、と感心する。事前のドタバタ劇は、デウスエクスマキーナではないけれども、優れた学芸員たちの登場によって、綺麗な軌道を描いて、上手に軟着陸した。

*1:引用は、横浜トリエンナーレ2005年のカタログからです。