20世紀のマンモス・プロジェクト

 まず、「ロッキング・マンモス」がある。鉄の塊のようでもあるが、そのフォルムはマンモスを形作っているのが分かる。そして、解説の言葉を読み、僕たちはなんと言葉を発してよいのだろうとふたたび途方にくれることになる。
 まず、それは「ヤノベ乗用の愛車から移植されたディーゼルエンジンを搭載しており、黒煙を吹き上げながらゆっくりと揺れる構造」になっており、「揺り木馬型のロボット・マンモス」である。そして、これは「20世紀のマンモス・プロジェクト」と名づけられた、流産に終わったパフォーマンス計画の流れのなかで造られたものだという。
 「20世紀のマンモス・プロジェクト」とは何か。パラフレーズして解説することも考えたけれど、そうするには、あまりに脱力させられる内容をもった計画であって、しかも、ともかく笑える。だから、長くなるけれど、その解説を最近刊行されたヤノベの作品集のなかから抜粋する。

2004年春、中日新聞社からヤノベのものとへ、愛知万博(2005年日本国際博覧会)で期間中に進行させるアート・プロジェクトの依頼が舞い込んできた。
(中略)
 その頃愛知万博では、目玉のひとつとしてシベリアの永久凍土から氷付けのマンモスをまるごと持ってきて展示するというプロジェクト(主催:読売新聞社)が進行していた。それはかつての大阪万博で多くの人々へ夢を与えた「月の石」と拮抗する展示物であると注目されていた。
 そこで、ヤノベが打ち出したのが「20世紀のマンモス」プロジェクト構想だった。体長20m、重さ20t。ディーゼルエンジンを動力に巨大な4足歩行のロボットマンモスが歩き出す。材料は鉄くずなどの工業化社会が落とした夢のかけらたちだ。黒煙を吐きながら「20世紀のマンモス」は愛知万博会場で披露される。そして巨大ヘリコプターで吊り上げられ、名古屋市街上空をダンボのように舞い、再び着地。街を抜けて港の方へと歩き出していく。なめらかな曲線美に鋭く尖った金属、擦れあうたびにきしむ音。黒煙の塵やオイルのにおいを残し、「20世紀のマンモス」は巨大なボートに乗せられ一路シベリアを目指す。愛知万博で掘り起こされたマンモスが約1万年にわたって眠りつづけた永久凍土の中へ、今度は「20世紀のマンモス」が、1万年後に掘り起こされるべく、埋められることになるという。
(中略)
 ところが、マンモスや巨大ロボットという表層を巡る問題を皮切りに、主催者側とアートに対する価値観の相違や資金の限界、そして最後には企業としての政治的理由を突きつけられ、「20世紀のマンモス」構想は頓挫してしまった。続く第2案として提示した、子どもの命令にのみ従う巨大ロボット「G.−T.R.Y.(ジャイアント・トらやん)計画」も同様に、ヤノベが愛知万博へと贈ったプランは、主催者の深い理解を得られることなく、ことごとく幻のプロジェクトとなった。

 どうだろうか。「20世紀マンモスプロジェクト」とは、このような恐ろしく馬鹿げた内容を持った計画である。そして、その流産までの経緯もまた、どこかしらファルスめいて響くところがある。なにが「政治的な理由」であったかは別として、普通に考えれば、このような妄想を大笑いしながら現実に始動させるほどの精神的な余裕と資金は行政を含む主催者側にないだろうし、また、「あんなに無意味なのに、そんな危ないことをしちゃ、まずいだがね」という主催者側の判断にも頷けるところが多い(道路交通法とかの絡みで考えると、マンモスを公道で歩かせるために、警備の人員と監督庁に提出する書類の分厚い束がどれだけ必要かと考えただけで、たぶん、主催者側は背筋に冷たいものを感じたことだろう)。
 だから、この計画が実現しなかったということについては、「まあ、そうなんだろうな」という感想しか持たない。しかし、それにしても、その計画の亡骸として残され、僕たちの眼の前にある「ロッキング・マンモス」について、僕たちはどのように解釈すればよいのだろうか。ここで、僕たちはまた、「ジャイアント・トらやん」を見たときと同じような戸惑いを覚える。