保坂和志『アウトブリード』

 保坂和志は大好きで、ほんとうに好きで、『季節の記憶』などは二ヶ月に一回は読まなくてはいられないくらい好きで、実を言えば、その文体を真似しているところもある。そんくらい好きなので、普通の評論がいかに訳がわからなくても、全然オッケーで、事実、『言葉の外へ』なんていう評論は意味が分かるところよりも意味が分からないところのほうが多い。
 『カンパセーション・ピース』が出てしまったので、当分新しいのは出ないと思うし、それに加えて、小説は全部読んじゃっているので、悲しくて仕方がない。それで、評論を買ってきた。とりあえず、気に入ったのは、この一節。

文章には<伝える>という透明な面と<溜る>あるいは<澱む>というような不透明というか簡単に消化されることを拒む面があって、記憶の核心では文章のそういう不透明な要素が溜まったり澱んだりして相当おかしな結合を起こしているに違いない。だから統辞法がおかしかったり要素が整理されないまま入ってきていたりする文を読むと、ぼくはぼく自身のあやふやさが刺激されるようでわくわくする。

 保坂和志の何が良いかって言われれば、そんなことは一言では言えないし、言うつもりもないのだけれど、その姿勢には学ぶべきところが沢山あって、その一つを挙げるとすれば、言葉の限界を知りながら、諦めずに言葉の外部というものを想定し、それに向けられた言葉を一生懸命組み立てようとする健全な姿勢。