Rape me, rape me.

 では、『ラストデイズ』では、どうか。そこに救済はあるのか。
 そこでは、『エレファント』と同じように、長廻しが使われて、かつてほどは執拗ではないものの、同じ時間が反復される。森のなかを歩きまわる男。冷え切った屋敷のなかの錯乱。それは繰り返される。確かに、『エレファント』の少年少女たちと同じように、若さの終わりを迎えつつある男には、出口がない。
 でも、そこでは、カタルシスが準備されていない。虐殺者はやってこない。彼は、殺されることができない。そんな場面はないけれども、仮に、彼が「殺してくれ!殺してくれ!」と泣いて叫んだところで、誰も殺してくれない。気を失っていても、放っておかれるだけだ。
 最悪なのは、彼が自殺したところで、それさえも「死から誕生までの長くて孤独な旅路」の始まりでしかないということだ。生から死、死から生。同じことの繰り返し。何処にもいけない。死、死、死、死のループ。なにも始まらない。なにも終わらない。
 そこでは、もはや、カタルシスがやってくることはない。そう信じることもできない。だから、救いはまったくのところない。そこでの挨拶は「Hello, hello, hello, how low?(hell low??)」ということになるのかもしれない。