Why don't you kill me?

 ガス・ヴァン・サントの『エレファント』では、長廻しのシークエンスが多用されている。でも、同時に印象的なのは、同じ時間が異なったかたちで執拗なまでに繰り返されているということだ。虐殺に至るまでの数時間が何度も何度も繰り返される。
 それを眺めていると、暗がりのなかで、冷たく輝いている廊下の光景とあいまって、ふと、僕たちは、それが数時間のなかで起こったことではないかのような錯覚に陥る。のっぺりとした時間軸が反復され、ずらされるという描写によって、そのような日常が幾度となく、うんざりするほど、いや、窒息するほどに繰り返されたのだという印象をもつことになる。
 だから、僕たちは、性急かもしれないけれども、たぶん、そうだったのだろうと結論づける。少年は、日々、朝から泥酔した父親を自動車に乗せなければならなかったのだろうし、ぶすな少女は、体育の授業のたびに更衣室で嘲りの言葉を投げかけられなければならなかったのだろう。トイレで、ダイエットのためにゲロを吐くのは、自信がなくて、しかも、個性のない少女たちの日常だったのだろう。
 そう考えると、『エレファント』は、時として、陰惨な虐殺を描いたのではなくて、救済の物語であるかのようにも映ってくる。ぶすな女の子の無残な日常は「ぱーん」という軽い銃声で終わりを告げる。そこで、彼女の出口なしの生活は終わる。10代の陰惨で泥濘のような日々は、綺麗な青空の向こうに消えてなくなる。
 いくらか残酷に響くかもしれないけれど、10代のリアリティーというのは、そういったものではなかっただろうか?いつか、何処かで、カタルシスがやってきて、僕たちを連れ去ってくれることが信じられた時代。まだ、そこには、救いがあった。