優れた短編小説について

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

 まったく偶然なんだけれども、この『象の消滅』を読む前に、『中国行きのスローボート』を読み返していて、正直、表題作の「中国行きのスローボート」が思ったほど良くないというか、どちらかと言えば、短編としてあんまり優れていないということに気づいて、驚かされたということがあります。
 驚いたというのは、それまでは、そんなに気にならなかったこの小説の粗いところというがはっきり目についたということに驚いたのであり、もっと言えば、この短編を気に入っていたが故に、かえって、そういった粗さに気づいてしまったこと自体に軽い衝撃を受けたということになります。

 もっと説明すると、ごく個人的なものだけれども、良い短編小説というのは、どんなにその短編小説の出口がとんでもないところに設えられていても(実を言うと、とんでもないところにあればあるほど良いのですが)、読み終えた後に、その作品の入口と出口が決定的な場所に置かれているという印象を読者に与えるもの、という個人的な基準があって、その基準から言うと、この作品はあんまりうまくできていないという印象がありました。
 つまり、残念なことに「中国行きのスローボート」は、入口と出口があんまり上手くなくて、そういったところで、粗いというか、もっと、それらをしっかり作っておいたほうが良かったんじゃないかな、という感想があります。

 それで、この短編集を読んでみたところ、「なるほど」というか「そうか、僕の不満も故のないことではなかったんだ」と思ったのは、この優れた作者自身が「中国行きのスローボート」に不満を持っていたということ(「生まれて初めて書いた短編小説」!)で、だから、英訳される前に手を入れ、また、今回収録するにあたって、それを翻訳するという形をとっているようです。
 今回、その改稿されたものを読んでみて、それでも、やっぱり僕の不満は完全には解消されなかったけれども、とはいえ、文章のスピードというか話をスライドさせていく感じというか、そういったものが、明確になっていて、恐らく、それがこの話で求められているものだったんだということに気づきました。その部分は面白いといえば、面白かった。

 と、いきなり悪口みたいなところから書いてしまいましたが、しかしながら、この短編集を読んでみて思ったのは、この作家がやはりというか当然というか非常に優れた書き手であるということであり、「中国行きのスローボート」を除けば、ほとんど完璧に近いものを十年間にわたって書き続けていたことに驚かざるをえませんでした。
 先ほど述べたごく個人的な基準で言うと、きちんとした入口があって、とんでもないところに出口が準備してあって、でも、ひとつひとつ読み終えると、やっぱり、その出口しかなかったんだ、という気になる作品ばかりで、その意味で、良い短編がずらりと並んでいる。驚くべきことです。

 もうひとつ思ったのは、こうやって、ずらりと並んだ短編集を読み返してみると、この作家には、ひとつの傾向のようなものが感じられて、それは、先ほどの入口と出口の喩えでいうと、この人の入口の選び方には、ほとんど完璧であるということです。この入口に小石を投げ入れれば、まず、間違いなく、きちんとした場所からその小石が出てくるという嗅覚というか感覚というか、そういったものをこの作者は持っているようにも感じられました。そういうのもすごい。