参院の憲法調査会

参院憲法調査会 報告書を提出 護憲色濃く 二院制優先し“腰砕け”

 参院憲法調査会関谷勝嗣会長)は二十日、「参院の堅持」と「新しい人権の創設」を強調した報告書を自公民三党の賛成多数で議決し、扇千景参院議長に提出した。賛成は三十八、反対は共産、社民両党の三。九条を含め憲法改正の方向性を打ち出した衆院側に比べ“護憲色”が強まった観は否めないうえ、二院制の課題も浮き彫りになった。

 ◆大利小利?
 参院の報告書が、“腰砕け”になったのは、現状の参院を堅持という共通目標を達成するために、与野党が共闘を優先したためだ。
 昨年十一月、保岡興治自民党憲法調査会長がまとめた憲法改正大綱原案で「衆院優越」強化がうたわれ、一院制導入、参院の権限抑制論が強まることに危機感を抱いたのがきっかけ。参院与野党は、九条改正などの“大利”を捨てて、「二院制維持」という“小利”を求めたといっても過言ではない。

 産経新聞からの抜粋。

 衆院憲法調査会の報告書がこの前出て、これについては、まあ、いろいろとあるので、当分のあいだ後回しにしますが、参院憲法調査会の報告書も出たようです。

 産経新聞がこう述べてしまうのも、産経新聞たる所以なのでしょうが、でも、「二院制維持」という「小利」を取って、九条改正の「大利」を捨てるっていう発想が、そもそも九条改正という結論が先にありき、という感じがあり、これじゃあ、いくら、スヌーピーのバスタオルをくれたところで、立場が違う人を納得させることはできないよ、っていう印象があります。
 
 「またか」ってうんざりする人もいるとは思うけれども、基本的な確認事項から言えば、憲法が二院制を取っているのは、一院制にすると、いったん、その議院が暴走した場合、それを止めるブレーキがないという考え方が基本にあって、要するに、衆院参院の二つの議会があるっていうのは、意見を異ならせることによって、互いを抑制するっていう権力分立の思想に基いているわけです。

 とすれば、衆院憲法改正に意欲的である時に、参院が「腰砕け」てしまい、ブレーキをかけるっていうのは、システムが正常に作動している証拠であって、それはそれとして、まず、制度的に予定されているものです。だから、両院のあいだで結論が異なるのは、決して悪いことじゃない。
 だって、そうでしょ。仮に、衆院が「戦争しちゃえ」って盛り上がっている時、参院が「いや、でも、そこまで・・・」っていった具合に、「腰砕けた」ほうが良いに決まっているんだから。憲法では、そういった「腰砕け」が前提とされたシステムになっています。

 だから、産経新聞には、最初に基本的なことを勉強して欲しい。こんなの僕みたいな素人でも知っていることだよ。憲法の改正を主張するのはよいけれども、その前に、今の憲法の基本的な制度設計を押さえてから、問題を指摘すべきです。何が何でも九条改正すればよいっていうんだったら、ガキの論理だよ。

 で、続けると、憲法の改正は総議員の三分の二で改正の発議となっています(その後に、国民投票が続くのですが)。この総議員のってところがポイントで、憲法の中には、例えば、法律だったら、出席議員の過半数で成立だとか、そういった規定があるけれども、それに比べても、かなり厳しい要件が課されています。
 つまり、「出席議員」よりも「総議員」のほうが改正するのが難しいし、さらに、「過半数」よりも「3分の2」のほうが改正するのが難しいって具合に、憲法の改正の発議は、かなり難しくなっている。
 こうやって、憲法改正が難しくしてある理由のひとつには、憲法が簡単に変えられないようにすることで、憲法を守って、ひいては、人権を保障するっていうことがあります。これは教科書のおさらい。
 でも、そこには、それだけには留まらない理由もあるように思います。つまり、少なくても、衆院参院のあいだで同意を得られなければ、国会は国民に発議すべきじゃないということです。これを裏から言えば、選ばれ方も任期も異なる二つの議院の中で、意見をすりあわせて、その結果、両院で同意を得られるに至るというプロセスをもって、国民の統一的な意思が作られたとする、っていうことを憲法は求めてるんじゃないかという気がします。

 とすれば、衆院参院で意見が分かれたっていうのは、憲法がそもそも求めていることで、その後に、両院が意見をすり合わせていくことによって、結果として、よりよい憲法改正案ができるというのが憲法の予定するところであり、あるいは、そのプロセスを抜きにして憲法を改正するっていうのは、予定されているシステムを骨抜きにするようなものだとさえ言えるかもしれない。

 こういった風に考えると、参院の見解が衆院と異なったからと言って、それを「腰砕け」って断言しちゃうのは、なんだかな、っていう感じがします。
 繰り返しになって鬱陶しいかもしれないけれども、衆院参院の見解のズレっていうのは、憲法改正の手続の前提とされていると考えられるのだから、それを頭ごなしに否定してしまうのは、やっぱり、まずいという気がします。少なくても、憲法改正憲法に書かれた手続に基いてなされることで、「新しい」憲法の正統性は担保されるわけで、その手続の前提として、衆院参院の意見のずれっていうのはあるはずなわけで、それを「腰砕け」の一言で片付けるのは、翻って、産経新聞が想定する憲法改正そのものの疑わしさを感じさせます。少なくても、僕には。

 たしかに、片寄った見解が多いとはいえ、憲法問題に熱心に取り組んでいて、いちいち報道してくれるのはありがたいのですが、それでも、憲法の教科書に書いてあることくらいは押さえた上で、それとかみ合った形で、きちんと議論や反論を組み立ててくれないと、やっぱ、悪質なプロパガンダっていう感じになってしまう。産経は気をつけたほうがよいとは思いますよ。意見は意見として認めますが、なんか、基本を押さえていないんじゃないかって議論が散見されるのが気になるところではあります(いや、だからって、朝日が良いとか、そういう話じゃないよ。誤解しないでね。)。