消費に乗って

 80年代後半から90年代前半に10代の終わりから20代の初めを過ごしてしまったので、消費によって、自分を実現していく感じっていうのは、嫌だけれど、分からないわけじゃなくて、だから、僕が大学に入ったくらいの時期に「からだを売って、ルイ・ヴィトンのバックを買う」というライフスタイルの少女たちが出現した時も、嫌だけど、その感じは分かりました。
 要するに、代替可能なものになることの心地良さ、自分を物に乗せて前に前に進んでいく感じ、っていうのは、分からないというよりも分かるが故に「いや・・・そこまで・・・しちゃうんですか?!」とたじろいでいたというところがあります。
 で、それから、もうすぐ10年が経とうとしていて、そういった消費によって、前に前に進んでいくっていう感じは、一方では、時代遅れになっているのと同時に、加速度を増している印象もあります。
 時代遅れっていうのは、若い人たちがどんどん貧乏になっているので、昔ほどは、がしがし買うっていうロジックが通用しなくなっているというか、まあ、あんまり詰まんないものを買って、偉そうにしていると、ただ単に馬鹿として扱われるようになったという、ある面では健全な方向に、ものごとは進んでいる。
 でも、消費によって、ものごとを進めていくっていう感性っていうのは、依然として、根強いもので、その典型的な存在がライブドア代表取締役兼社長であるように思います。あの人には「とりあえず、買っておきますか」という雰囲気が漂っているけれども、ああいった感じっていうのは、少なくても、僕は理解できる(ような気がする)。その先にある行き詰まり感っていうのも含めて、僕には分かる(ような気がする)。