愛だよ、愛

自民新理念・綱領案 前文削除、50年宣言に盛る

 自民党は五日、十一月の結党五十年に向けた新理念・綱領案を発表した。憲法改正教育基本法改正を掲げて「自民党らしさ」を打ち出す一方、当初案にあった「前文」は削除し、今後策定する「立党五十年宣言」に盛り込むこととした。
 新綱領は、冒頭に新憲法制定を明記し、「家族のきずなを大切に、国を愛し地域を愛し」との表現を加えた。新理念では「自国の安全は自らが守るという気概と使命感をもつ」として、保守色を鮮明にした。

 産経新聞から。

 憲法改正教育基本法の改正が目指されているというのが「自民党らしさ」っていうのが、よく分からないけれども、邪推すれば、愛国心ばりばりの少年少女を作り出しましょうっていうのが「自民党らしさ」ってことなんでしょう。

 でもね、と思うのは、「国を愛し地域を愛し」って、人に言われてどうこうするものじゃなくて、ましてや、法律で命じられてどうこうするっていうものでもないわけです。大げさな話をすれば、警察官に「国を愛せ!」と言われて、国を愛する人がいるかといえば、かえって逆効果なんじゃないかとも思います。だから、まず、法的な問題を離れて考えると、こういうことを言っている時点で、「愛」が「愛」たるゆえんをまったく理解していないんじゃないかっていう、そういう感じがしますね。まあ、何人も愛人を囲っていた元幹事長がいる党なんだから、愛は金で買えるとでも思っているのかもしれませんが。

 むしろ、「愛国心」って、僕が川崎フロンターレを愛してしまうのと同じなんじゃないかって気がします。どんなに駄目なチームでも、どうしても、応援せざるをえないし、でも、数年前のように、フロントが悪かったら、はっきりとフロントが悪いし、今のチームの状況が悪いと断言できるような、そういった感じ。要するに、苦笑しながらも、仕方がないがないから、等々力に試合を見に行ってあげるって、そういう感じですかね。しかも、強制されないで。仮に、「川崎市民はみんな年間一試合は川崎フロンターレの試合を見に行かなければならない」なんていう条例ができたら、皆さんは見に行きますか。僕は行きません。愛っていうのは、強制されて、どうこうするっていうものじゃない。

 じゃあ、愛って何?っていう話に当然なると思いますが、まあ、さしあたりは、「偶有性」って言葉を使っておきます。詳しく説明すると、ちょっと路線がずれちゃうんでしませんが、端的に述べると、偶然に出会ってしまったことを引き受けるっていうことだと、僕は信じています。その意味で、愛には責任が伴う。例えば、子供だって、偶然にできちゃったには違いないんだから、それを引き受けるっていうのが、愛なんです。まあ、哲学の話になっちゃうから、もう触れませんが。

 もうひとつ。教育基本法の改正について。
 教育については、このところ、非常に混乱している状態となっています。もちろん、過渡期なわけで、もう一度練り直しましょうっていうのは、分かります。
 ただ、問題は、判例に従って考えると、教育の主体っていうのは、国家であると同時に、国民であるわけです。つまり、子供の学習権を保障するために、国家も一定の役割を果たすけれども、国民もきちんと役割を果たすっていうのが、たしか、旭川学力テスト事件の判旨だったわけです。
 とすれば、教育基本法の改正については、まだ、どうなるか分からないけれども、国家が全面に出てくるような話であるならば、これは警戒しなくては、っていう気がします。個人的には、国内で平等な教育を受ける権利を保障するために、国家ないし行政が一定の役割を果たすことはもちろん必要だと考えますが、それは、あくまでも、平等な教育をうける権利を保障するためであって、愛国心を植えつけるためじゃないっていうことは、この段階でも、きちんと把握しておいたほうがよいと思います。
 もちろん、産経新聞の記事なので、憲法改正教育基本法改正と愛国心が意図的に並べられた可能性もあり、僕は自民党の綱領を読んでいないので、正確なところは言うべきじゃないのかもしれないけれども、こういう書き方をされると、そういった危惧が生じます。