弁護人の考え

 それと同時に、やはり残念だったと思うのは、今回の訴えが受験要綱の14条違反ないし労働基準法違反の確認訴訟および国家賠償請求という形で行われてしまったこと。確かに気持ちは分かるけれど、真正面から法規を憲法違反と主張することによって、ある面では、最高裁違憲判断をするのを躊躇わせてしまったところもあるのではないかというところがあります。
 訴えの形を見ると、恐らく、弁護人の照準は定住外国人を差別的に扱うシステムを変更させようという、そういったところにあったように見えます。けれども、これは照準の合わせ方として、あまり良くなかったのではないかと思われます。
 むろん、弁護人の気持ちは分かる。でも、憲法の予定するシステムというのは、制度の改変については、立法ないし行政に任せ、裁判所は個人の人権を救うという、そういった形になっている。だから、違憲立法審査権は私権保障型であり、その違憲の判断は個別的な効力しか有さないとされている。
 とすれば、裁判を通じて、社会のシステムを変えようという心意気は分かるんだけれども、最終的には、弁護人の主張と最高歳の考えるところの間には、その前提として、乖離が生じてしまったのではないか、という気がします。
 仮に、この永住資格を有して、日本で育ち、地方公務員としての仕事を長年勤め上げてきた、この個別具体的な個人が管理職昇進試験を受けることができないこと、この不合理性を訴えにもっていったとしたら、結果は変ったのではないかと思うのです。つまり、受験要綱の違憲を主張するのではなくて、その運用ないし適用に違憲があったと、そういった主張を行うべきだったようにも思われる。
 この意味で、弁護人側に戦略上のミスがあったように感じたのですが、どうでしょうか。