スーザン・ソンタグ死去

 今年はデリダも死んで、それで、ソンタグも死んだということになると、何かしらの終わりを感じさせるところはあります。何かしらの、というのは、感覚的に述べれば、メタファーをシリアスに論じる時代の、というくらいの意味で、要するに、洗練された物言いがコミュニケーションの武器となりうる時代は終わったのだとも言えるのかもしれない。
 ソンタグの行ったことで、印象に残っているのは、コソボ空爆に対する態度で、それはサラエボを西欧社会が見捨てたこととの関係で語られていたように思う。手元に書籍や新聞の切り抜きがあるわけではないので、記憶に頼るのみになるけれども、アメリカがコソボ空爆して、サラエボに人道的な介入をしなかったことを、ソンタグは怒っていた。これには賛否両論あったが、僕はそれを思い出す。