「司書さん、愛してる」

 ヴォネガットのコラム。

 http://www.inthesetimes.com/site/main/article/i_love_you_madame_librarian/

 かなり暗いというか、ユーモアを保ちながら、ところどころで、やけっぱちになっているといったような感じがありますね。たとえば、「気づいていないかもしれないけど、私たちは世界中で恐れられ嫌われている。それはナチと変らないくらいなんだ。」とか「大統領がクリスチャン?アドルフ・ヒトラーもそうさ!」なんていう文章。もしかしたら、今一番辛いのは、アメリカでまっとうな神経を持っている人たちなのかもしれないという気もします。
 あと、思うのは、先日の内田樹の書いたものと重ねて、ヴォネガットが「公立図書館」にしか自分の愛するアメリカがないと嘆いているところです。どんどん、「知性」が囲い込まれて、最後に残っているのが図書館だけなんだという嘆きは、言葉のあやであるにせよ、かなり不気味に心に迫ってくるところがありました。
 ところで、これが書かれたのが今年の8月。大統領戦をヴォネガットはどういう風に眺めたのでしょう。関心があります。と書いたところで、探してみたら、ヴォネガットのコラムがありました。

 http://www.inthesetimes.com/site/main/article/1546/

 まだ、10月29日の記事だから、投票の始まっていない段階で「終わりが近い」って、かなり暗いね。というか、ほとんどユーモアがない。ヴォネガットの小説からユーモアを取ってしまうと、読むに耐えないほど暗い話になってしまうという気もしていましたが、このコラムはその印象があります。ほとんど絶望のみ。
 まあ、「土壌や水や大気汚染のために、全ての脊椎動物が他ならぬ「髑髏と骨十字」(万歳!)になろうとしている、このご時世に、(大統領戦の)どちらが勝つにせよ、私たちは「髑髏と骨十字」の大統領を選ぶというわけだ。/まったく詩的じゃないか!」なんていう文書に辛うじてユーモアの欠片が感じられますが。
 これを読んでみると、選挙の前には、日本でさえ、「ブッシュとケリーのどちらが良いか」という話があったけれども、ヴォネガットのように、もう少し「ブッシュもケリーもどっちも駄目」っていう意見を述べる人があっても良かったんじゃないかという気もします。つまり、内田樹に倣えば、オルタナティブを探す努力が(自分も含めて)足りなかったような気もします。