人道的介入

 人道的介入に関しては、かなり難しい問題を孕むけれども、最近読んだ本の中で、この問題に関連するものがあったことを思い出す。伊勢崎賢治武装解除』(講談社現代新書)。
 東ティモールとアフガンで武装解除を担当した人間の書いたもので、読み物としても、人道的介入を考える上でも、大変に面白い。国家というものが存在しなかったり、極めて脆弱な状況において、いったん権力を国家に集中させる必要があるとして、その場合、その集中させる行為というのは、端的に言って、群雄割拠する武力集団から武器を取り上げて、その武器を国家のコントロール下におくといった作業になる。その作業がいかにしてなされるかという話だ。
 興味深かったのは、それぞれの武力集団の間のパワーバランスを保ちながら、漸進的に非武装地帯を広げていく中で、結局、それを裏付けるのは、国連の平和維持軍であったり、多国籍軍であったりという、第三者的な武力であるというところだ。つまり、武力なくしては(もちろん、お金なくしては)、何も進まないという、当たり前といえば、当たり前の話である。
 人道的介入が武力を伴う場合、それをかなり強く拒絶する向きがあることは知っているし、その立場も理解したいと思う。人道的介入には、武力を伴わない方法もあるだろうし、また、武力を伴わないで済むのであれば、それに越したことはない。できるだけ武力を使うのは避けたほうが良い。その一方で、この本を読んでいると、武力を伴わないと不可能な局面も存在するということを素朴に感じた。もちろん、この問題は厄介で、一つの立場に立つためには、この素朴な感覚を再度検討する必要はあるけれど。