ネットの中の他人の欲望

 むろん、他人の欲望に指さされる形で自分の欲望が対象を見つけるという図式は新しくないのだけれども、その量というのが、ある部分では、新しい気がすることも確かです。
 今までは、他人の欲望をなぞるとしても、それが示されるのは雑誌であったり、本であったりして、その中に配されている情報の傾向というのは、物理的な一定の限界があった。例えば、ある本を手にとって、同時に、ソウルミュージックエスニックフードの詳しい情報が載っているということはあまりない。
 ところが、ネットになると、その情報の傾向の無限定さというのは、際限がない。無秩序にいろんな情報がフラットに並べられている。そして、僕たちは、そのフラットな情報の森の中を猿のように枝から枝に飛び移っていくことができるわけです。さらに、リンクという形で、その枝は無限の彼方まで連なっているかのように、僕たちを誘っていくものだから、始末が悪い。
 だから、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのことを調べていたつもりが、何時の間にか、アダム・スミスのことを読んでいるみたいなことが往々にしておるわけです。「こういうのは、どうなんですかね」というのが僕の率直な当惑。