『イエルサレムのアイヒマン』

 言うまでもなく、ハンナ・アーレントアーレントの著作でいえば、『全体主義の起源』をいつかまとめて読んでしまいたいと思っているのだけれど、何しろ大部なものだから、今はその余裕がない。
 それはともかくとして、この本も薄いけれど、それなりにへヴィーな読み応えがあるもので、その「重さ」というのは、もちろん、扱っているテーマの重さにも由来するのだろうけれども、それと同時に、ひとつの「事件」を語りながら、その射程が幾つもの層に及んでいるという、そういった書かれ方からくるものも大きいのではないか。
 つまり、そこには、まず、アイヒマンという愚かで哀れな役人が行った最悪の犯罪という、行為者の卑小さと行為の重大さのアンバランスというドストエフスキー的な色彩も感じられるような物語があり、それに折り重なるようにして、ナチスという行政機構の存在論というべきなのか、歯止めが利かなくなった行政が犯しうる「悪」の在り方が語られ、それと折り重なるようにして、権力機構とそれに抑圧される者の「共犯関係」(これには異論があるにせよ)が示され、さらに、イエルサレムで行われた「裁判」における「正義」が覆いかぶさるように読者の目の前に突きつけられる。
 そんな具合に、幾つもの層がひとつの線的な語り口の中で示されていくものだから、確かに、この本の一文一文は重くなっていくし、最終的な結論めいたものというのはあるわけがない。ただ、考えるきっかけだけが与えられる。