『煙草は崇高である』

 ウェブの古本屋を何となく見ていたら、この本を発見して、懐かしさのあまり購入してしまいました。最後の頁をみたら、97年に初版ということなので、ずいぶんと前の本になってしまったことに涙ぐみそうになりました。
 当時も買おうかどうしようか迷ったけれども、何となく面倒で放っておいたら、いつの間にか廃版になっていて、何としてでも手に入れるといった類のものじゃないから、当然そのまま放っておいて、ついに気まぐれから手に入れたという次第です。
 列車の中でまだ序章と一章しか読んでいないけれど、やっぱし、こういった優雅な本はあって欲しいなあというのが素直な感想。批評の方法として、時代遅れになっていると言う人もいるかもしれないけれども、一般人の僕が読むかぎりでは、きちんとそれなりの知的好奇心を満たしてくれるし、なんと言っても楽しい。こういうのは文庫になるような社会が良い社会だと思うんですが、どうですかね。ちくま文庫とかにならないですかね。
 あと、解説をちらちら読んでいると、ジョナサン・カラーとかバーバラ・ジョンソンとか(ド・マンもね)、懐かしい名前を沢山発見。この「懐かしい」という感覚は脱構築のブームが去ってずいぶんと時間が経ったことを示しているのかもしれないけれど、でも、個人的にいえば、こういった人たちの批評はやはり面白かったし、今読んでも、面白いのではないか(読んでないので分からないけど)。批評の方向性としては、焼畑農業的なところも否定できないのかもしれないけれど、煌くばかりの才能をもった人たちが鋭くテクストに切り込んで行く、あの感じっていうのは、今でも読んでみようかなという気にさせるところがあります。といっても、ほとんど翻訳されていないし、翻訳されたものも廃版になっているものが多いと思いますが。
 再評価とかそういった大げさなものは不要なので、とにかく、誰か訳して出版してくれませんかね。英語で読んでも良いけれど、電車の中で英語の本を読むっていうのは、ちょっとね、なんか恥ずかしいところがあるので。