『ボーリング・フォ・コロバイン』

 ハワイに行くその前に、アメリカのことを学ぼうと考えて、テレビで『ボーリング・フォ・コロバイン』を見ました。
 マイケル・ムーアについては、『華氏911』で賛否両論入り混じっており、とはいえ、僕は「見ても見なくても、ブッシュが馬鹿なことは分かっているよ」的な自堕落さを発揮して、見にいっていません。
 ただ、『ボーリング・フォ・コロバイン』を見ていて思ったのは、マイケル・ムーアの方法のことで、「こういったドキュメンタリーもあり、かな」っていうことです。つまり、少し前、新聞を読んでいたら、「『華氏911』はあからさまなプロパガンダで、ドキュメンタリーとしての価値はない」だとか「あの映画はひとつの政治的な立場を明らかにしたにすぎない」といったような批判が見受けられましたが、これは、ムーアの手法に対する批判になっていないということ。
 つまり、最初からムーアが意図していたことが実現されているからといって怒っているように思うのです。あらかじめ、ブッシュを批判するために、映画が撮られた以上、ムーアは、それを隠蔽してあたかも公平な立場から語られているかのようなスタンスをするを嫌ったのではないかと、実際にものを見ていないながらに思います。とすれば、ムーアがあからさまにブッシュを批判したからといって、怒るのは的外れということになるのではないでしょうか。
 それに、一般論として言えば、どのようなドキュメンタリー作品であれ、それが政治的・社会的な対象を扱う場合、それは何らかの政治的立場に立っているのは当たり前の話で、それが嫌なのであれば、北海道のキタキツネのドキュメンタリーでも見ていれば良いとも思います。