つげ義春の失踪

 こうなると、もう逃げ込む先はフィクションしかないとも言うべきなのですが、あいにくのところ、今月はやたらと金を使ってしまい、本を買うお金がなくなってしまい、逃げ込む先もなくなってしまいました。
 それで、やむをえないので、本棚にある本を手にとるのはだるいので、背表紙を眺めて「なんか、ないかな」と考えているのですが、やはり、失踪といえば、つげ義春の貧乏旅行を書いたエッセイで、先ほどまで背表紙を見ていたのにタイトルを思い出せないのは申し訳ありませんが、あまりさえない旅行のことを書いていた本がありました。
 その最初のエッセイの中で、つげが九州のほうに失踪するというものがありました。そこでは、ファンレターを送ってきた読者と結婚してしまおうと思い立ったつげが九州に向かい、その読者と会うには会ったがうまくはいかず、仕方なしに、九州の温泉場を訪れて、ヌードダンサーと寝て、埒があかなくなって、東京に戻ってくるといったような話が語られていました。
 この話に僕の心が魅了されて仕方ないのは、それが失踪を扱っているということと、失踪したところで、埒があかないという失踪の、さらにいえば、生きることの真実をとてもうまく伝えているということの二つの理由があります。
 特に、埒のあかなさというものがこのエッセイの最初から最後までを貫いていて、これが感動的なのです。例えば、たまらなくなって九州に逃げていったは良いけれど、到着してみると、やることがなくて、パチンコをするといった、あの感じというのは、失踪のみならず、生きることそれ自体の埒のあかなさの実相さえも伝えているかのように感じてならない。
 そういった意味では、つげの失踪は『夜の果ての旅』と同じ地平におかれているのです。ささやかエッセイであるとはいっても。