突然どうでもよくなる

 とはいえ、同時に、そういっているわけにもいかないのではないか、という気もする。
 なにが言いたいかといえば、「人間っていうのは、そういう風にできているんですよ。いや、君も大人になれば分かると思うけど、労働っていうのは、そもそも疎外されるもんなんですよ。」と諭されたところで、疎外されている状況には変わりはなく、また、その苦痛というものが和らぐわけでもない。その言い草は、チンパンジー似の上司が痙攣する彼に「仕事って言うのはさあ・・・」と語りかけて、無理やり出張に連れ出すのと同じように、なんの効果もない。というよりかは、むしろ、病を悪化させる。
 そんな風に考えた時、この小説のなかで、ラカンが槍玉に挙げられ、語り手が精神分析に「ふざけんなよ」と異議申し立てする意味というのも、何となく理解できるような気もする。恐らく、この小説の大いなる、そして、えげつないまでの疑問符というのは、そのシニカルな文体に反して、欲望だとかの構造を端的に指摘して、肩をすくめるといった冷めた態度に向けられている。人間の欲望などと言われたところで、私たちの苦痛はぜんぜん和らぐことがない。この小説に新しさがあるとすれば、そうしたところを指摘してみせたところにあるように思われる。しかも、ラカンのお膝元で。そういえば、この小説には、こんなエピグラフもあった。

「近代的であるまいとすることが、突然どうでもよくなった。」(ロラン・バルト

闘争領域の拡大

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