ラーズライブ!

ラーズ(+8)

ラーズ(+8)

 個人的な歴史を述べさせてもらうと、マンチェスタームーブメントと呼ばれる流れが盛り上がってきた時に、僕は高校生になって、CDを買ったり、音楽を聴いたり、或いは、雑誌を買ったりということが中学生の頃に比べて格段に自由にできる年齢になった。
 自由にCDを買ったり、音楽を聴いたり、雑誌を買ったり、というのは、けっこう重要なことで、人から何を言われようが、自分が良いと思ったら、それを選ぶ!ということを、つまり、個人として生きるということを、この消費社会に生きる僕たちは、音楽を聴くという作業を通じて身に着けるんじゃないだろうか。もっと言えば、音楽を聴くことを通じて、僕たちは、自由に生きることの楽しさを知るんじゃないか。余計なことだけど、そんなことも思う。

 それはともかくとして、僕は、マンチェスタームーブメントに心を踊らされた。飛行機で14時間、列車で3時間(だったかな?)というイギリスの地方都市で起こっている新しい波に、東京近郊の小都市に住んでいる高校生が踊らされたというのは、奇妙な話ではあるんだけれども、でも、「ムーブメント」という言葉には、なにか特別なものがあったし、毎月のように(つまり、ロッキンオンの発売日ごとに)、どんどんと新しいバンドや新曲が登場するものだから、それによって、僕自身の世界がどんどんと開けていくような気もした。
 それに、ストーンローゼスのペンキ事件を引くまでもなく、まったくのところ、彼らはいろんな事件を起こしてくれたのも大きかった(そういえば、その後、シャーラタンズのメンバーは逮捕までされた)。血気盛んな、というか、暴れること自体になにか神話的な意味を見出すティーネージャーにしてみれば、それもなかなかに魅力的だった。

 マンチェスターのバンドの新しさというのは、結局のところ、「踊れる」というところにあって、彼らにあっては、とにかく、みんなを躍らせるということが主で、音楽的な完成度だとかメロディーラインの美しさだとか、そういったものは二の次にされていた。
 例えば、ハッピーマンデーズなどが典型的で、今、その曲を聞いても、とにかく楽しく踊れればいいじゃないか、面倒くさいことは言うのを止めて踊っちゃおうぜ、という、「踊る」という行為に対する馬鹿っぽさに極めてポジティブな姿勢(実は、とんでもなくネガティブなものを反転させて、そのようになっているとも言えるのだけど)を感じとることができる。
 マンチェスタームーブメントの「踊れる」ことが重要!という考え方は、シニカルな人ならば、ストーンローゼス(というか、イアン・ブラウン)に対する黒人音楽の影響なんかを言い募って、白人による黒人音楽の再解釈の一つにすぎない、なんて言うかもしれないけれども、でも、そう言い放ってしまうのには抵抗があって、実際、当時のことを振り返ると、黒人音楽の影響だけじゃなくて、やっぱりハウスの影響がマンチェスターに流れ込んでいたこともあるし、肉体性よりも観念性を優先させていた音楽(ニューウェーブとか)を超えて、「踊る」ということをロックの一部としてポジティブな意味合いで捉えなおしたという意味で、マンチェスタームーブメントには、それなりの新しさがあったんじゃないかと思う。

 長い前置きになっちゃったけれど、こうした当時の状況からすると、ラーズは「踊る」至上主義という流れに一番割を食ったバンドで、今、考えても、彼らは不幸だったなという印象が拭えない。
 彼らの最初にして(今のところ)最後のアルバム『ザ・ラーズ』のサイケデリックなジャケットは、発売当初でさえ、「ちょっと、これは時代が違う・・・」という感想が否めなかったし、その曲にしても、その極めて高い完成度、というか、隙のなさが、かえってマンチェスターのゆるさと対比されてしまって(マンチェスターじゃないけど、プライマルスクリームの『screamadelica』のゆるさが、当時、かえって新しさを感じさせた)、なんか時代遅れな感じもあった。
 つまり、ラーズは、踊れるということよりも、メロディーラインの美しさを、そうでなければ、楽曲の完成度を選択したバンドだった(もしかしたら、それは、彼らが、マンチェスターでなくて、リヴァプールという都市の出身だったということも関係しているのかもしれない。当時のリヴァプールでは、マンチェスターと違って、警察の取り締まりが厳しくなって、ライブハウスというかクラブがどんどんと閉められているという状況にあったそうで、だから、どうしても、そこに住む人たちが内側にこもる傾向を持った音楽に全体として流れていったとしても、それは不思議な話ではない。そうそう、内側にこもるといえば、リヴァプールには、ライトニングシーズというバンドというかソロプロジェクトもありましたね。でも、あれは、実は、ビルボードとかのトップ50くらいにはなっていたような記憶があるから、ハッピーマンデーズの最高80位くらいに比べると、妙なかたちで成功していたということもいえるかもしれない。*1)。
 そういった意味では、スタートラインのところで、ラーズはずいぶんと大きなハンデを背負っていて、今でさえ色あせていない傑作だったというのに、当時、あのアルバムはそれほど注目を集めなかった。例えば、ラーズのインタビューをロッキンオンで見かけたのは、僕の記憶するかぎりでは、一回だけで、何とか見開き一頁という感じだったように思う。ラーズはそのくらいの扱いだったのだ。

 そうは言っても、当時、ラーズのアルバムはかなり良く聴いたものに入っていて、あまり注目されないが故に、逆に、かえって個人的には盛り上がっていたところもあって、CDだったけれども、それこそ擦り切れるくらい聴いた。
 それに状況が状況だった故に、ラーズのようなバンドは、ほかには見当たらないというのもあった。ああいった音楽を聴きたいと思うと、どうしても、過去に遡るほかなかったけれども、でも、ラーズの音には、ネオアコとか、そういった流れに属するバンドにはない力強さがあって、その意味でも、僕にとっては、貴重なバンドだった*2
 
 そんなわけで、個人的に、ラーズにはずいぶんと拘りがあった。だから、それなりに注意は払っていたわけだけれども、結局、二枚目のレコーディングの準備中に解散してしまったという話を聞いたときには、たしか、大学生になっていたと思うのだけれども、かなり悲しかった。「ああ、あのアルバムで最後だったんだ」と思って、妙に感傷的になったことを思い出す。

 そして、最初のアルバムを聴いてから15年。

 ラーズがやってきた。ラーズが再結成されることもありえなければ、ラーズが日本でライブをすることもありえない。でも、そのありえないの二乗がなぜか起こって、その場に、僕も行くことになった。ただ、十五年も待っただけに、かえって不安なところもあった。きちんと演奏できるのか。声はきちんと出るのか。途中で止めて帰ったりしないか。そもそも、きちんと始まるのか。そして、演奏が始まる。

 結局、不器用なバンドだったんだな、と思う。MCはぜんぜん差し込まれない。せいぜい「コンバンワ」、「オワリ」くらいなもの。目線は客席に向けられるよりも、手元に向けられるほうが多い。ほとんど無骨といったほうが正しいくらいの、シンプルな組み立て。だから、「ああ、だから、一枚しか出せないで、解散なんてことになったんだな」と妙に納得したりもする。
 でも、やっぱり嬉しかったというのが本当のところで、逆に、言ってしまえば、そういった不器用なところを含めて、なんか胸を打つところがある。一枚しか出していないから、曲数に限りがあるところも、だから、出し惜しみなんかもしないで、最大のヒット曲である「There she goes.」をすぐに演奏しなきゃならなくて、しかも、曲が足りないから、もう一回アンコールで演奏してしまうところも、胸にくるところがある。
 そして、「There she goes.」でみんなが一緒に歌いだしたところなんかは、なんか、ありえないところでありえないことが起こっている感じがする。最初のアルバムが出てから、15年も経っているというのに、僕たちがみんなで声を合わせて唄っている。そういうのって、恥ずかしいことかもしれないけど、やっぱり良いと思う。

 ライブが終わって、思ったのは、とにかく、どんな駄作でも良いから、再結成して、アルバムを出して欲しいということ。つまんない個人的な感傷とか、そういうのを抜きにして、やっぱり、ラーズは愛すべきバンドだということ。そして、この愛すべきバンドが残っていて欲しいということ。とにかく、何でも良い。もう15年も待っていたのだから、これ以上は待たせないで、どんどんと曲を作っていって欲しい。
 そう、僕たちは15年の長きにわたって、ラーズを待っていたんだ。

*1:ちなみに、サッカーのリヴァプールが今年のチャンピオンズリーグで優勝したことは、ラーズの復活になんか関係あるのでしょうか。いや、たぶん、ないな。

*2:といっても、ラーズがネオアコに分類される場合も見かけるし、まあ、そういった側面もあるので、それは否定しないけど。