なにが規制されているのか

CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー

CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー

 もう一ヶ月くらい前に読んだもので、でも、すでに同著者の『コモンズ』とかが一時期話題になっていたという意味では、すでに時代遅れも甚だしい読書なのですが、『コモンズ』は積読状態になりながら、なんとか、この本は読みました。字は大きいけど、やっぱ長いや。
 で、アーキテクチャ型権力だとか、インターネットの世界における規制とか、そういう文脈で読んじゃうっていうのが、普通の読み方だし、この本のメインテーマもそこにあるとは思うけれども、僕個人としては、憲法を学ぶ上での副読本として、非常に面白かった。
 このところ、憲法の話に触れていないけれども(時間がないのです)、憲法判例だとかを読んでいて、一番難しいなと思うのは、判例百選だとかに載っている事案が非常に古くなってしまっているということです。

 例えば、今流行の憲法九条の話でいえば、牧場の近くで、自衛隊が爆弾を使った訓練をしていて、その爆音のために、牛の乳の出が悪くなってしまい、それに腹を立てた人が自衛隊の連絡用の電話か何かの電線を切ったという事件があります(実際は、自衛隊がそういった訓練をする際には、牧場主に連絡をするという紳士協定があったにも関わらず、自衛隊がその協定を破ったという、なかなかに杜撰な話も絡んでいるのですが)。それで、憲法九条が問題となった。

 分かります?

 なんで、ここで九条が出てくるのか、普通の感覚だと分かりにくい。要するに、細かな話は省くと(本当はその細かいところが大切なんだろうけど、時間がないのです)、自衛隊の設備を壊したというのが犯罪になって、牧場主が起訴されて、それに対して、自衛隊の存在自体が九条に違反するから、そんな犯罪は成立しないんだっていうのが、牧場主側の主張。それで、九条が問題になったわけです。

 たしかに、この場合、牧場主にしてみれば、ここで、犯罪が成立してしまうと、前科一犯になるかどうかの瀬戸際なわけで、かなり深刻な事態であるのは間違いない。
 でも、牛の乳の出が悪くなったとか、自衛隊が紳士協定を破ったとか、そういう話が絡んでいると、今一度牧歌的になってしまう。何というか、これが憲法九条の問題だっていわれても、なんか弛緩してしまうというか、リアリティーがないというか、正直シリアスになれないのが本当のところです。

 判例百選などを読んでいると、こういった事件が多いものだから、普通に生活している分には、僕たちのなかで、憲法の問題がなかなかリアルなものとして浮上してこないところがあります。かと言って、権力から個人の権利を守る、なんて、抽象的なことを言われても、非常に分かりづらいところもある。このあたりで、多くの人が「憲法?なに、それ?」みたいな感じになるのは、僕には非常に理解できます。

 それで、レッシグのこの本ですが、リアルな憲法問題というか、憲法が肌感覚で分かるような問題となる局面がいろいろと出てきます。
 例えば、インターネットで、自分が行っていることが行政に監視されるっていうのは、どうなんですかっていったような形で問題が提起されるわけです。そして、それはプライバシー権の問題で、やっぱり、憲法をどう解釈するかによるのだから、それもまた憲法問題となりうるんだと、そういった風に話が進んでいきます。そして、かなり厄介な憲法の解釈の変遷の問題も噛み砕いて、説明してくれる(もちろん、合衆国憲法の問題として、ですが)。

 こういう議論を読んでいると、判例百選に比べて、憲法がなにから僕たちを守っているのかということはもちろん、憲法の条文の解釈っていうのは、どういう風になされるのかといった厄介な問題もリアルに伝わってくるわけで、そういった意味で、憲法を学ぶ上での副読本として、なかなかなものだなあというのが実感としてありました。

 もちろん、誤解されると困るので、付け加えておくと、レッシグは、法的な規制だけじゃなくて、市場、社会の規範、アーキテクチャという四つのものからインターネットが規制されうるんだっていうことを言っており、この本はインターネットに関する規制の本です。
 でも、沢山のところで、憲法の話が出てきていて、「憲法には関心があるけれど、インターネットの規制はどうでもいいや」という人にも、かなり示唆に富むところは多い。

 あと、個人的には、アバター空間の中で、「法」的なものが創設されていく過程っていうのが、何となくですが、ノージックの本とかを彷彿させるところがあり、「へえー」っていう印象がありました。

 結局、長々と書いてしまい、かなり後悔(時間がないのに・・・)。