国民投票

自民新憲法小委 国政選挙と別日程 改憲是非問う国民投票

 自民党憲法起草委員会の「改正・最高法規」小委員会(高村正彦委員長)と「司法」小委員会(森山真弓委員長)は二十二日、各会合で要綱素案を提示した。「改正・最高法規」小委の要綱素案は、国会の改正発議要件の緩和や、憲法改正の是非を問う国民投票を国政選挙とは異なる日程で行う方針を打ち出した。
 国会の改正発議は、現行憲法では「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」が必要だが、要綱素案は「各議院の総議員の過半数の賛成」に緩和する方針。ただ、一部の議員から、天皇基本的人権など憲法の基本事項にかかわる規定の改正は「過半数」よりも厳しい発議条件にとどめるべきだとの意見があり、この意見を要綱に付記するかどうか検討する。
 憲法改正国民投票は「有効投票の総数の過半数の賛成」で改正を承認するとした。憲法改正原案の提案権は国会議員に限定する。同小委は要綱とりまとめを高村氏ら作業部会に一任した。

 産経新聞の記事から。

 憲法改正の手続は、総議員の総数(総数です。出席議員でないことに注意。)の3分の2の賛成、国民の過半数の賛成が条文上必要とされています。
 とすれば、今回の自民党案で何が目的とされているかと言えば、現行憲法から、国会議員の総数の2分の1の賛成にするというのだから、憲法改正を簡単にするということ。

 このことは、国民投票法で「国民の過半数」を「有効投票の総数の過半数の賛成」としていることにも窺えて、有権者の総数よりも、有効投票の総数のほうが投票にいかない人を含まないだけ、憲法の改正が行いやすくなるということになります。
 実際、この前の衆院選投票率が50パーセントくらいだったことを考えると、この過半数、要するに、有権者数の25パーセントくらいで、憲法は改正されてしまうことになります。
 もちろん、憲法が改正しやすいほうが柔軟に状況に対応することはできるでしょう。
 でも、憲法が国家に対する国民の最低限度の命令であると捉えるのであれば、あんまり、その命令が簡単に変えられてしまうというのは、どうなんだろうという気もします。
 
 特に、現状では、僕を含めて、国民というのは、法律について、無知でリテラシーに欠けているものだから、果たして、適確な判断ができるかどうかと不安なところもあります。
 そういった意味で、僕は、現段階で(あくまでも現段階で、ですよ)、憲法を改正するのには、かなり懐疑的なところがあり、国民には、基礎的な情報も欠けているとさえ思えるので、憲法改正の要件はできるだけ厳格なほうがよいと思っています。

 だから、自民党案には、反対。
 総議員の3分の2という要件は改正するべきではないし、国民投票法についても、有権者数の過半数でよいと思います。そもそも、憲法改正は、国民主権の権力的契機の発露なわけだから、総有権者数の25パーセントかそこらで改正されてしまうっていうのは、議論として、おかしい。
 より説明すると、まず、国民主権というのは、国民が国のことを決めるという建前で、この「決める」っていうことは、ほかならぬ国民が権力を行使するということを意味します。
 普通は、国民が権力を行使することはないけれども(そうですよね。普通の人がほかの人を逮捕したりはしない。)、憲法改正に限っては、権力を行使することになるっていうことを、省略した言葉で「国民主権の権力的契機」と呼びます。
 とすれば、国民がみんなできちんと権力を行使して憲法を改正する、っていうのが国民主権の建前にかなっているはずなのに、25パーセントやそこらの国民だけで「改正してよい」とするのは好ましくないし、間違ってさえいるっていうことになるんじゃないでしょうか。まあ、棄権したい人はどうなるの?っていう問題もありますが。

 いずれにせよ、着々と憲法改正の発議は迫っています。