川上弘美『センセイの鞄』

 別に、川上弘美には恨みなどはないのですが、『蛇を踏む』だとか『溺レる』だとか『龍宮』だとかは読んでいるのですが、さっぱり意味が分からなくて、ただ知り合いの中にとても褒めている人がいたので、読むものがない時に読むといった程度でした。
 そうした状況が昨年くらいまで続いて、そのノリで『おめでとう』を読んだんですが、だいたいのところでは、そういった印象は変らなくて、ただ「冬一日」だけがとてもよく、川上弘美の印象がかなり良くなったというのも事実です。
 それで、『センセイの鞄』が文庫化されたので、手にとって期待せずに読んだのですが、この人が計算して書いているところはものすごく嫌で、そういったところは受け付けられないというか、この人の恋愛話のところは男の僕が読むと、計算高い女の嫌なところを敏感に感じてしまって、気分が悪くなります。だから、恋愛話みたいなのはちょっと勘弁してほしい。
 そうではなくて、背景的に使われているイメージ、たとえば、『センセイの鞄』で言えば、「月と電池」の月と電池の使い方などは非常に素晴らしいと思います。どう素晴らしいかといえば、こうしたものを並べて語る着想で、月という仄かに夜空を照らしているものと、電池の中に残っているであろう電力を命に置き換えて、それをわずかに残っている光のイメージに転換させて、といった置換のシステムはとてもよいと思います。そういった置換のシステムは「センセイ」から「鞄」というところでもやはり見れて、そういったところは非常に良いと思うのです。なにが言いたいのか良く分かりませんが。
 ちなみに、日経の日曜日に川上弘美がエッセイを書いていますが、こういったテーマなしの文章をこの人が書いていても、そんなに退屈ではなくて、むしろ楽しんで読めるので、たぶん、僕はこの人が書く恋愛話が嫌いなんだと思います。