買った

 最近、あたまが重くてならなくて、もうすぐ死んじゃうかもと思いながら、適当にすごしています。そういったこともあり、少しでも頭が軽くなればよいな、と思って、お馬鹿なCDを幾つか購入しました。

フレディ・テレル&ザ・ソウル・エクスペディション

フレディ・テレル&ザ・ソウル・エクスペディション

 むちゃくちゃ格好よいです。解説に書いてあったのですが、このアルバムのアナログ盤はまぼろしの一品とされていたそうで、一枚1000ドル以下では買えなかったとのこと。
 確かに、90年代前半にちょっとはやったレアグルーヴですか、そういったのが好きだった人にはたまらない格好よさがあると思います。僕自身は、当時、そんなにこだわりとかはなかったのですが、でも、こうやって聴いてみると、やっぱむちゃくちゃ格好よいです。
 こういう音楽を聴くと、J・Bホーンズとかを思い出しますが、それが上品に思えてしまうほど、下品さと踊れれば別によいじゃんといったような投げやりな感じに満ち満ちていて、それもまた、たまんない。いや、貶しているんじゃなくて、一曲目はすげーので、この際買っておいたほうがよいでしょう。こういうのって、すぐになくなっちゃうし。
 しかし、ソウル・エクスペディションって名前もどうかなあ。そのまま訳せば、「ソウル探検隊」ないし「遠征隊」ですが、思い切って、ここは「ソウルの旅人」と誤訳しておきたいところではあります。

リヴ・ゴーシュ・リオ

リヴ・ゴーシュ・リオ

 ソウル・エクスペディションとは打って変って、大人です。
 繊細に作りこまれているというか、計算しつくされているというか、そういった音楽です。たぶん、日本人がボサノヴァと言われて思い浮かべるような音楽です。そして、それがどんな風景をイメージさせるかと言えば、日曜日の昼下がりに中産階級の三十代半ばの大人が白ワインなどを飲みながら聞いているといった風景。やってられませんね。
 いや、別にそういうのを否定的に捉えるつもりはないんですが、しかし、こんな心地の良い音楽っていうのも、なんか間違っている感じもあり、いや、これはこれで正しいという理性の声もあり、なかなかアンビヴァレンツな感情をもたらしてくれるにはくれたアルバムで、そういった葛藤を抱えながら、でも、僕は好きです。そういう中産階級的な夢は、なかなか否定しようとしてもできるものじゃありません。
 この人は、ジルベルト・ジルとスタジオを共有しているみたいですね。ジルベルト・ジルといえば、あの「パルコ」で、いかにも能天気なお馬鹿さんという印象を与えてくれましたが、でも、意外と録音が良いなと思っていたら、フォンセカみたいなプロデューサーが後ろに控えていたから、あの録音のクリアーさがあったんですね。そういったところで、へんに納得(と、ジルベルト・ジルの悪口みたいなことを書いてしまいましたが、カエターノ・ヴェローゾの「運命(シンナ)」のカバーは名曲だと思いますし、「パルコ」だって、馬鹿っぽいけれど、そんなに悪くないと思います。なので、ジルベルト・ジルのファンの方は怒らないでくださいね)。

CAETANO LOVERS

CAETANO LOVERS

 ブラジルつながりで、と言うと怒る人がいるかもしれないけれど、カエターノ大先生の「来日記念企画」盤を買ってしまいました。本当は、アメリカのポピュラーミュージックをカバーしたという新しいアルバム(名前忘れる)を買おうと思っていたのですが、発見できずに、この企画盤を見ていたら、何となく欲しくなって買ってしまいました。
 カエターノ・ヴェローゾのアルバムは四枚か五枚くらい持っていて、ちょぼちょぼとは聞いているのですが、正直なところを言うと、それほど聞き込んでいるというところまでは行っているわけじゃなくてその音楽がそんなにすんなりと入ってくるところまでは行っていません。確かに、「すごいな」と思う時もあるのですが、同時に「ちょっと濃いな」というところもあって、そういったところで、ついつい尊敬しながら遠ざけるといった感じになっています。
 でも、この企画盤は、かなり聞きやすい。というか、日本人のミュージシャンが選んでいるので、日本人の耳に入りやすい曲が多いのかもしれない。カエターノ・ヴェローゾのことはあんまり知らない僕でさえ、知っている曲と知らない曲が半分半分くらいのところだったので、そういったところでも、日本でよく知られているカエターロ・ヴェローゾの姿を集めてみましたという感じになるのかもしれません。個人的には、「So in love」とか、有無を言わさぬ名曲だと思いましたが。
 それにしても、小山田圭吾がカエターロ・ヴェローゾを聴いていたというのは、かなり意外な感じもしましたが、彼が選んでいる曲がまた一筋縄でいかない曲で、そういったところで、なるほどな、と思うところもありました。